ラビリンス


永遠に続くかと思われる廊下。
それはそこかしこで分岐して、複雑に入り組む。
同じような景色は感覚を麻痺させ、どこを歩いているのかもわからなくなる。
そう、ここはまるでラビリンス。
「あぁ、もう。どうしよう」
リリーは途方にくれてその場に座り込んだ。



今日は1月3日。年に一回王宮で展覧会が開かれる日である。
さまざまなギルドの代表者がそれぞれ自慢の一品を国王に謙譲し、その年の国からの援助金を勝ち取るための商人の祭典だ。
アカデミー建設を目標とするリリーも、当然お題のアイテムを持って王宮を訪れていた。
(かなりいい出来だから、いい評価が出ると思うんだけど)
自信を持って出したアイテムは予想通り国王らからかなりの好評価を受け、高額の援助金獲得を確信したリリーは、少し浮かれて謁見の間を後にした。
リリーは案内係の女官の後に続きながら、まもなく完成するだろうアカデミーに思いをめぐらせる。建物自体はほぼ出来上がっているから、援助金の残りは装飾に回せるだろう。
(やっぱり授業の開始を知らせるための鐘楼とシンボル代わりの風見鶏はほしいわよね。あと、庭には噴水があると涼しげでいいし、アイヒェの木陰でお弁当を食べるのもいいわよね。あとは・・・)
あれこれ考えるのは楽しくて、リリーはついつい考えに没頭してしまう。
すると、気が付けば前を歩いていたはずの女官の姿がない。
「あれ?」
リリーは女官が曲がったのに気付かずまっすぐ来てしまったのかと、慌てて少し手前の横道まで戻ってみるが、そこに女官の姿はない。
では知らず知らずのうちに遅れてしまったのかと、今度は少し先の突き当たりで左右に分かれている所まで行って両方の廊下を見渡してみるが、そこにも人影は見当たらない。
どこでどう道を間違えたのかは知らないが、どうも完全にはぐれてしまったようである。
「まぁ、途中で誰かに会ったら道を聞けばいいわよね」
リリーは気楽に考え、めったに入れない王宮だしと、探検気分で適当に廊下を進んでいく。
しかし、それからしばらく歩いても一向に人に出会わない。
謁見室に行くまでの間も何人かの城勤めの人間に出会ったというのに、これだけ人に会わないのはさすがにおかしい気がする。
少し心配になってきたリリーは、人を探しながら廊下を進むが相変わらず人の気配はない。
「すいませーん!誰かいませんかー?!」
しかし答えはなく、ただ自分の声がむなしく響くばかりである。
リリーは人を拒むような果てしなく長い廊下を見渡す。そして気が付いた。
今まで歩いてきた廊下にまったく扉も窓もないことに。そしてそれが何を意味するかも。
城は万が一敵が攻め入った場合、容易に国王の下にたどり着けないように、迷路のような複雑な造りをする場合がある。何回かここに来ているが、謁見室までは割と簡単な道だった様な気がするから、平常時は最短距離でいける道を使っているのだろう。しかし非常時にはその最短通路を塞ぎ、迷路のような横道を通ってしか謁見室の方までたどり着けないようにするのだろう。そして、考え事をしていたリリーは、多分何時の間にかそこに迷い込んでしまったのだ。
リリーの顔からさっと血の気がひいていく。
敵の侵入を妨げるための通路だ。おいそれと抜け出せるような造りをしているとは思えない。
そして平常時の現在、遠回りをしてわざわざそんな迷路のような道を通る物好きもいないだろう。
(完全に迷ってしまった。しかも自力で脱出するしかない・・・)
あまりにも無茶な命題に思わず泣き出しそうになる。
リリーはそんな弱気な自分に喝を入れるために両頬を手のひらで叩く。
泣いていても始まらない。とりあえずリリーは脱出口を目指して歩き始めた。



それから何時間さ迷い歩いたのだろう。歩いても歩いても同じような景色が続くばかり。同じ道を歩いているのか違う道を歩いているのかさえもわからなくなってくる。歩き詰めの足はもうそろそろ限界で、リリーはとうとう足をとめる。
「あぁ、もう。どうしよう」
リリーは途方にくれてその場に座り込んだ。膝を抱えてその上に額をつける。
今までの感じでいくと、自力での脱出はたぶん無理だろう。となると誰かが救助してくれるしか助かる道はないわけだが・・・。
(まずはあの女の人があたしがいないのに気が付いて、しばらく探した後にもしかして迷路に迷い込んだんじゃないかと気が付いて、それからお城の人が探してくれたとして・・・どれぐらいで見つけられるんだろ)
王宮の人間なら正しい道筋を知っている者もいるだろうが、それとその中に迷い込んだ者を探すのではわけが違う。どこにいるかわからない以上、全通路を捜索しなければならないのだ。とんでもなく果てしない作業といえる。その間もちこたえなければならない。
ポケットの中を探ってみるが、食べられそうな物は入っていない
(人間が水も食料もなしで生きられる限度って、確か10日だっけ)
10日以内に助けが来なかった場合、きっと見事な干物になったリリーが発見されることだろう。
(どうせなら昨日の残りのスイートパイ、食べてくれば良かったなぁ)
ひとつ思い出すと、次々と後悔が押し寄せてくる。
(展覧会用の作品で中断してた調合も完成させたかったし、シュミッツ平原に蒔いたカリカリの種の行方も気になるし、イングリドに新しい調合の仕方を教える約束もしてたのに。それから・・・)
リリーは胸元の古風なペンダントに手を伸ばす。
(意地張らずに、渡せばよかったな。ペンダント・・・)
脳裏にいつものからかい半分に笑ったようなヴェルナーの顔が思い浮かぶ。
意地悪で、へそ曲がりで、いつも人のあげ足ばかりとって・・・。
それでもその瞳の奥は優しくて、困ったときには必ず助けてくれて。
何時の間にか一緒にいるのが自然になって、いつしか心惹かれていた。
(最後に会ったのは昨日だっけ)
もう会えないかもしれないと思うと、自然に涙が浮かんでくる。
「ヴェルナー・・・」
「なんだ?」
リリーはとうとう幻聴まで聞こえ始めたのかと思うが、それにしてはリアル過ぎるその声に慌てて顔をあげる。すると目の前にいつものように瞳にからかうような光を浮かべてヴェルナーが立っている。
「えぇぇぇぇーっ!!ヴェルナーなんでここにいるのよ!」
もう会えないものだと思っていたのに、突然目の前に現れたヴェルナーに、リリーが思わず立ち上がって絶叫する。
「ったく、うるさいやつだな。目の前にいるんだから、大声出さなくても聞こえるだろうが。それにお前こそ、なんでこんな所にいるんだ?」
ヴェルナーがさも嫌そうに耳を塞いで顔をしかめる。
そんな意地悪なところがいかにもヴェルナーらしく、リリーはヴェルナーに再び会えた喜びと助かった安堵感から、目頭が熱くなるのを感じる。
「あたしは・・・あたしは・・・・・・」
リリーの瞳からポロポロと涙がこぼれる。
「えっ、おい、何で泣くんだ」
わけがわからずうろたえるヴェルナーの胸に、リリーは泣きながらすがり付く。
ヴェルナーは困ったような顔をしながらも、リリーの体にそっと手を回した。
自分の腕の中で嗚咽を漏らすリリーの小さな体に、自分が泣かせたわけでもないのに胸が痛んだ。
「・・・勘弁してくれ。・・・お前に泣かれるのが一番堪える」
ヴェルナーは少し擦れた声で呟くと、リリーが泣き止むまで優しく頭を撫でていた。