
ラビリンス
「で、こんなところで何やってたんだ?」
ようやく泣き止み、まだわずかにしゃくりあげているリリーの頭を撫ぜながら、ヴェルナーが問う。
リリーは時々つかえながらも道に迷った経緯を説明した。
「なるほど」
ヴェルナーが少しあきれたように笑うと、ようやく元気を回復してきたリリーがぷっと膨れる。
「ヴェルナーこそ、ここで何してるのよ」
「俺は探検だ。ここの迷路は複雑で結構面白いからな。展覧会のたびに忍び込んで探検してる」
心底楽しげに言うヴェルナーに、危うくここで遭難死しかけたリリーは開いた口がふさがらない。
「面白い・・・探検って・・・迷ったらどうするのよ!」
「お前と一緒にするな」
ふふんと鼻で笑ってポケットから銀貨を取り出すと、ヴェルナーがやってきたのだろう道を指し示した。
廊下の分岐点ごとに何かがキラリと光っている。きっと道しるべ代わりに分岐点に銀貨を置いて来たのだろう。
「でも、もし何かの間違いで目印がなくなってたらどうするのよ」
人が通らないここで、およそそんな事態はありえない気がするが、リリーは馬鹿にされたのが悔しくて食い下がる。
「まぁ、いざとなったらあれを引けばいいからな」
ヴェルナーは涼しげな顔で壁の丸い輪形の飾りを指し示す。
確かあれと同じ飾りを迷路を彷徨っている間に何回か見たような気がする。
だが、あれを引くとどうなるのかわからず、リリーが不思議そうに見ていると、ヴェルナーが再び口を開いた。
「あの飾りはある種の非常装置のようなもんで、あれをを引けば王室騎士隊のところに連絡が行くようになってるんだ。しかも一つ一つに番号が付いてるから、遭難者がどこにいるかも判るときてる。だからいざとなったらあれを引けば、王室騎士隊の連中が助けに来てくれるって言う寸法だ。ほらあの飾りの上に書いてあるだろう」
リリーは指で指し示された箇所を見る。
『迷ったらすぐに引け』
確かにそこには華麗な飾り文字でしっかりと書いてある。
「そんな〜」
リリーはがっくりと首を落とした。それではさっきまでの自分の苦労は一体なんだったのだろう。リリーは違った意味で涙が出そうになる。
「お前あせってそこまでよく見てなかったんだろう?こういう仕掛けでもなけりゃ、こんな危ない場所閉鎖しずに放置してあるかよ。・・・まぁ、仕掛けがある以外にも、閉鎖できない理由があるらしいがな」
「閉鎖できない理由?」
「あぁ。ここはな、別名『恋人達の迷宮』って言われてるんだ」
「恋人達の迷宮?」
「人が来ない場所で恋人同士がすることっていったらひとつだろう」
リリーはしばらく真剣に悩んでいたが、ようやく答えに辿りついて一気に赤面する。
「利用者が多岐に渡るんで、閉鎖論が出てもいつも途中で潰れちまうらしい。そういえばお前、途中で利用者連中と会わなかったか?」
リリーは勢いよく首をふる。そんな人々と会うぐらいなら、誰にも会わないで遭難死したほうががまだましだ。
そんなリリーを見てヴェルナーは面白そうに唇の端を上げる。
「どうだ、お前も活用してみるか。恋人達の迷宮?」
「かっかっかっ、活用って!」
リリーは慌ててヴェルナーの腕の中から抜け出すと、真っ赤な顔をして壁に張り付く。
ヴェルナーはしばらく真剣な顔でリリーを見ていたが、やがて堪え切れないといった様に笑い出す。
「ひどいっ!からかったのね!!」
今度は膨れっ面で抗議するリリーに、ヴェルナーはため息を吐き出す。
(本気で言ってるんだけどな)
そんな顔されたら冗談にするしかないではないか。
くしゃくしゃと収まりの悪い髪の毛をかき回す。
「まぁ、もう少し待つとするか」
ヴェルナーはそっと呟くと、元来た道を歩き出す。
それでも膨れっ面で壁に張り付いているリリーに向かって、ヴェルナーは立ち止まって手を差し出す。
「いつまで風船魚みたいに膨れてる気だ。ほら、帰るぞ」
リリーは膨れっ面でしばらくその手を見つめていたが、ふわりと駆け出してその手を掴んだ。
ヴェルナーはリリーの小さな手を握り締めると、再び歩き出す。
リリーはヴェルナーの大きな手を掴んで少し後ろを歩く。
(隣を歩くのはまだ少し恥ずかしいから。あと・・・)
なぜだかさっきから緩みっぱなしの頬を抑える。
(こんな顔見せるわけにはいかないわ)
リリーは心の中で呟いて、少し俯き加減でヴェルナーの後をついていく。
そんなリリーにはヴェルナーの背中しか見えていなかったから。
だから彼女は知らない。
ヴェルナーの顔もまた緩みっぱなしであったことを。
2001/09/04
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