永久に・・・ 【8】


コン、コンとノックの音が響く。
窓辺で本を片手に新しい理論について思いをめぐらせていたイングリドは、少々煩わしそうに扉の方を振り返った。
気だるげに入室許可を出すと、扉を開けて入ってきたのは現在イングリドの頭痛の種であるところの、創立以来最低の成績を保持している生徒だった。
「あら、マルローネ。もう工房の掃除は終わったの?」
「はい。終わったのは終わったんですけど・・・」
マリーはそこでわずかに言い淀む。
実は工房で出会ったあの二人の事をイングリドに言うべきか言わないべきか、アカデミーに戻る道すがら、かなり悩んだマリーである。
今までの経験からいくと、マリーが余計な事を一言言うたびに、どうもイングリドの機嫌が下降していくらしいからだ。
よってイングリドの元から無事帰還するには、余計な事は言わないが鉄則な訳だが・・・。
(伝言、頼まれちゃったしなぁ・・・)
「終わったんですけど、なんです?」
言葉を濁すマリーに、また何かしでかしたのかと、イングリドの眉がぴくりと上がる。
マリーは条件反射で首をすくめて、もじもじと指を組み合わせる。
しかしここまで来てしまっては、なんでもないですと言った所でイングリドはそうですかとは言わないだろう。
マリーはありったけの勇気を総動員して続きを口にする。
「実は工房の鍵が開いてて、中に人が・・・」
「まさかあなた!前回鍵を掛け忘れて、泥棒にでも入られたんじゃないでしょうね?」
背後から例のオーラを立ち上らせるイングリドに、マリーは慌てて首輪ふる。
「違います、違いますっ。・・・たぶん先生のお知り合いの方だと思うんですけど」
「知り合い?」
「えっと、茶色い髪と目をして、青い服を着た・・・」
その瞬間、イングリドの手から本が滑り落ち、派手な音を立てて床に転がる。
しかしイングリドはその事にも気が付かず、そのままの体勢で大きく目を見開き僅かに手を震わせている。
マリーはその尋常ではない様子に、思わずその場に座り込んだ。
(も、もしかして、先生とすごく仲が悪い人だったとか・・・)
やっぱり言うんじゃなかったと、頭を抱えて震えているマリーなどまったく目に入っていない様子で、イングリドは呆然と呟く。
「それで・・・その人は何と?」
「えっと、蒼い目をした金髪の男の人と一緒で、先生にありがとうって・・・」
「そう・・・」
感情のこもらない声で呟いたイングリドの目から、つっと一筋涙が伝う。
(先生、ようやく一緒になれたんですね)
リリーの弟子としてあの二人の事を間近で見て、その気持ちを理解していたイングリドは、あんな形で分かれてしまった二人の事をずっと心配していたのだ。
だからあれだけ頻繁に通っていた工房に、まったく顔を出さなくなったウルリッヒを心配して、たまに城まで様子を見に行ったりもした。
リリーが旅立った後も、表面上は今までとまったく変わらない様に見えたウルリッヒだったが、彼とと親しく接している者ならその心の荒み様はすぐに感じ取れた。
目の奥にちらつく、悲しみと焦燥感。そして生傷の絶えない体。
決して剣の技量が落ちているわけではない。むしろ上がっているぐらいだ。それでも傷が絶えないのは、相手の攻撃をまったく避けないからだ。
まるで死に急ぐような戦い方をするから、見ているほうがたまらない。
そうイングリドに語ったのはシスカだったか・・・。
だから、ウルリッヒ戦死の報を受けて、最初はとうとう来るべき時が来てしまったと思った。
しかし、しばらくして1通の手紙が届いたのだ。
差出人もかかれていないその手紙には、たった一言だけ、こう書いてあった。
『あるべき場所へ』
イングリドはウルリッヒの筆跡など知らなかったが、すぐにそれは彼からだとわかった。
そしてきっとリリーの元へ向かったのだと。
あれから数年。二人はようやく出会えた。
(先生、もう離れちゃだめですよ)
イングリドは目を閉じて、心から二人の幸せを祈った。


一方マリーはイングリドの突然の涙にパニック寸前だ。
今までイングリドにはきっと血も涙も通っていないに違いないと、信じて疑わなかったのである。
(きっと天変地異の前触れだぁ)
どこに身を隠そうかと床を這いずり回っていたマリーに、自分の思いに浸っていたイングリドがようやく気づく。
「あら、マルローネ。まだいたのね」
「はっ、はい!」
名前を呼ばれて思わず直立不動になってしまうマリーである。
「もうさがっていいわ」
せっかく心地のいい感情に浸っているというのに、ばたばたと騒ぎ立てるマリーを、イングリドは邪険に手をふって追い払う。
「し、失礼しますっ」
ようやく退室のお許しが出たのをこれ幸いと、マリーは慌てて部屋を出る。しかし、廊下に出てマリーが安堵のため息を吐きながら扉を閉めようとした所で、イングリドが再び呼び止める。
「あ、ちょっとお待ちなさい」
「はい〜っ」
わずかに開いた扉の隙間から、マリーが恐る恐る顔を出す。
「あなた、もしかしたら『いいセン』いくかもしれないわよ。なんといっても・・・このアカデミーの創設者と出会ったんですから」
イングリドは笑顔で言いたい事だけいうと、再びしっしと手でマリーを追い払う。
マリーは今度こそ呼び止められないうちにと、勢いよく扉を閉める。
早く閉めようとして首を引っ込める前に扉を引いてしまい、思いっきり顔面を扉にぶつけてしまったのは内緒である。


この後マリーは本来の実力か、はたまたリリーにもらった、調合時の経験値が倍増するようにラフ調合されたグルックピアスのおかげか、イングリドのいう所の『いいセン』をいき、賢者の石を完成させ、ロブソン村を救うなど、数々の偉業を成す訳だが、それはまだまだもうしばらく先の事である。