永久に・・・ 【7】


すでに日は傾き、窓から差し込む光が寄り添う二人の横顔を茜色に染めていた。
「そろそろ行きましょうか」
リリーは勢いをつけてソファーから立ち上がる。
もう少しこのままこうしていたい気もしないではないが、日が落ちれば街の外へと続く門が閉ざされてしまう。その前に街の外へ出る必要があった。
ウルリッヒは死を偽ってこの国を出た身。もし見つかれば、それなりの処分を受けるだろう。故にあまりここに長居するのは得策ではない。
ウルリッヒも当然その辺の事はわきまえているのか、黙って頷くと立ち上がる。
するとその時、入り口の方でガチャガチャと鍵を回す音がした。
二人はとっさに顔を見合わせる。ずっと空家状態のこの工房に訪ねてくる者など、他には思い当たらない。
もしや見つかったのだろうか。二人の顔に緊張の色が走る。
確か入り口には鍵をかけていない。
ウルリッヒは素早くフードを引き上げ、目深に被って顔を隠した。
リリーはウルリッヒに手振りでここにいるようにと合図すると、入り口の方に近づいて様子をうかがう。
入り口のほうからは相変わらずガチャガチャと鍵を回す音が続いていたが、やがてそれがピタリと止む。そして扉がスーッと開いた。
逆光の中に浮かぶシルエット。リリーは一瞬身を硬くするが、
女の子?
その小柄な背丈とまろやかな輪郭は、明らかに女性のものだった。
「あれ〜、おっかしいな。なんで鍵が開いてるんだろう」
そう呟いた(というにはかなり大きなものだったが)声は予想通りの高い声だ。
不思議そうに首をかしげながら、人影は工房の中に足を踏み入れる。どうも一人のようだ。
一人で女性ということは、ウルリッヒを捉えに来たわけではないらしい。
しかしそれならばなおさら何の用だというのだろう。
緊張を解いたリリーがそのまま様子をうかがっていると、次第にその姿が明らかになる。
金色の髪を高い位置で結び、若葉色のローブを羽織ったその少女は、リリーにはまったく見覚えのない人物だった。
外から明かりひとつ燈らない工房内に入ってきた少女は、まだ目が慣れないのかリリー気付いた様子はない。
さて、どうやって声をかけたものかと悩んでいると、少女はようやくリリーの姿を認めたのかピタリと動きを止める。そしてしばらく硬直していたかと思うと、今度は落ち着きなくきょろきょろとあたりを見回しだした。
「え?何で?あれっ????もしかして家、間違えちゃった?」
自問自答したあげく勝手な回答を出して、ごめんなさーいと叫びながら、すかさず「駆け足」の体勢に入った少女を、リリーが呼び止める。
「待って。多分間違ってない・・・と思うわ」
見も知らぬ少女が真実ここを尋ねてきたのかどうか、リリーにわかるはずもなかったが、なんとなくそんな気がしたのだ。
リリーの言葉を聞いた少女は「駆け足」の姿勢のまま、顔だけこちらに向ける。
「ところであなたは?」
リリーが優しく声をかけると、少女はようやく落ち着きを取り戻したのか、今度は体ごとくるりとリリーのほうに向き直った。
「あの、あたし、マルローネって言います。今日課題で落第点取っちゃって、イングリド先生にバツとしてここの掃除を言いつけられたんですけど・・・」
そこまで言って上目使いにリリーを見上げたマリーは、ぺろりと舌を出す。
「今日っていうか入学以来ずっとだから、ほとんどあたしがここの掃除当番みたいなものなんですけどね」
そう恥ずかしそうに付け足すマリーに、リリーの顔に自然と笑顔がこぼれる。
「そう・・・イングリドに」
ずっとリリーが母親代わりを勤めてきたイングリド。リリーより7つも年下でありながら、その天才ぶりを幼い頃から如何なく発揮していた。助手としてよくリリーの下で働いていたが、独自の調合実験におけるその斬新な切り口に、リリーはいつも舌を巻いていたものである。しかし若干大雑把な所があるので少し心配していたが、元来の面倒見のよさも手伝って、立派に先生を務めているのだろう。
イングリドの生徒というだけで、妙にこのマルローネという少女に親しみを持ってしまう辺り、リリーも少し親バカかもしれない。
「錬金術師を目指しているの?」
「はい。一応。でもあたしそそっかしくて、イングリド先生に怒られてばかりなんですけど」
マリーはあははっと頬を掻きながら苦笑いを浮かべる。
その様子を笑顔で見守っていたリリーの脳裏に、ふと昔の光景がよみがえった。
あれはまだ春浅い季節だった。
リリーがイルマのキャラバンで、いつものように占いをしてもらっていた時、イングリドがやってきて、自分も占ってほしいと言い出したのだ。
そしてその時の占いの結果が、イングリドは将来すごくダメな生徒を受け持つようになる事と、その生徒には大きな可能性が秘められているという事だった。
ひょっとしてこの子が?
生徒を受け持っていれば、毎年必ず出来のいい生徒も悪い生徒も現れる。
だから出来が悪いからと、すぐにその占いに結びつけていいのかはわからない。
それでもリリーの中で何か感じるものがあった。
同じものを目指す少女の中に隠れた、光る何か。
「錬金術は好き?」
「はい!」
迷いもなく答えるマリーに、リリーは自らの生徒を見守るような笑顔を向ける。
錬金術を愛する可能性を秘めた少女。その才能を何とか伸ばしてやりたい。そう思うのは錬金術師だからだろうか、それとも教育者だからだろうか。
「錬金術が好きだという気持ちがあれば、最初はうまくいかなくても、きっと大丈夫」
リリーは自分の耳につけていたピアスを外すと、マリーの手に握らせる。
「これをあなたにあげるわ。きっと役に立つと思うから・・・。だからあきらめないで」
そう言ってマリーに優しく微笑みかけると、リリーは部屋の奥に視線を流した。
つられてそちらを見たマリーは、そこにフードを目深に被った人物を見つけギョッとする。
見事なまでに押し殺されたその気配に、マリーは今までまったくその存在に気がつかなかったのだ。
驚いているマリーを他所に、リリーがウルリッヒに向けて小さく頷くと、ウルリッヒはリリーの側に歩み寄る。
そしてその腰に手を回して出口へと向かう際、マリーの前を通り過ぎざま、フードの隙間からちらりとこちら見やった、印象的な蒼い瞳と金色の髪。
「あのっ」
その様子に思わずボーっと見とれていたマリーだが、リリー達が出て行く寸前慌てて声をかけた。
「イングリド先生のお知り合いなんですか?」
リリーは微笑むだけで、マリーの質問に答えない。
そのままぱたりと扉が閉まる。
ただ、扉にしまる寸前、確かにこう聞こえたのだ。
「イングリドに伝えて。・・・ありがとう・・・って」
マリーはその後しばらく呆然と扉の方を見ていたが、しばらくしてへなへなと床に座り込んだ。
「何なの・・・あの人たち」
マリーにはその人の雰囲気というのだろうか、それを色で見る力が少しだけある。
例えばイングリドなら薄い紫色だ。あるかないかというぐらい薄い色。
それがとたんにどす黒く変わる時がある。こうなった時には大抵ろくな目にあわない。
ちなみに話し掛けてきた女の人には、包み込むようなオレンジ色の光を感じただけだった。
しかし奥から現れた男の人と二人そろった瞬間、その光が急に虹色に輝いたのだ。
こんなに綺麗な色合いを見たのは初めてだった。
「ああいうのが・・・運命の恋人ってやつなのかなぁ」
その強烈な雰囲気に圧倒され、マリーはその後もしばらくの間ぼんやりと扉の方を眺めていた。