
永久に・・・ 【5】
リリーは懐かしい工房の入り口に立っていた。
襟元から下げたチェーンを引き出すと、そこにぶら下げてあった鍵を手に取る。
この鍵はリリーがここを旅立つ時、ドルニエから渡されたものだった。
ここはお前の家なのだから、いつでも帰ってくるといいと。
アカデミーを建てるまで何があっても帰らない。そう心に決めていても、やはりこの鍵に、帰る場所があるという事に、心慰められた事も少なくなかった。
リリーはお守り代わりにしていた鍵を外すと、そっと鍵穴に差し込む。
そのままゆっくりと回すと、カチリと音がして鍵が開いた。
リリーはウルリッヒを見上げて、うれしそうに微笑む。
ドルニエとイングリド達はもうアカデミーに移り住んでいるようだが、約束どおりここをそのまま残しておいてくれた心遣いにリリーの胸が熱くなる。
一呼吸置いて取っ手を引くと、扉がギギっと蝶番を軋ませながら開く。
リリーはなんともいえない気持ちを抱えて中に足を踏み入れた。
中は埃だらけかと思われたが、定期的に掃除をしているのか意外と綺麗だった。
家具に埃除けの布がかかっている以外、旅立ったときと何も変わっていない。
リリーは懐かしそうにあれこれ手に取りながら、工房の中を見て回る。
懐かしい部屋、懐かしい景色、懐かしい空気。壁の傷ひとつ取っても思い出があふれている。
一通り見て回ったリリーが居間の方に戻ってくると、ウルリッヒもまた、懐かしそうに目を細めて部屋の中を見回していた。
ここで共に時間を過ごす事も多かったから、ウルリッヒにとってもある種、ここは思い出深い場所なのかもしれない。
リリーは二人でよくお茶を飲んだソファーの埃除けの布を取ると、そこに腰を降ろした。
部屋の中を見回していたウルリッヒも、歩み寄ってきて隣りに腰を掛ける。
あの頃と同じように、ただ見つめ合う。
状況は同じなのに、あの頃とはまったく違う、視線、時間、キモチ。
「ここに来るのは久しぶりだ。お前が旅立った後・・・もうここには来る事ができなかった。ここには・・・お前の思い出が詰まりすぎているから、な」
ウルリッヒはさびしそうに目元を緩めると、リリーの手を取ってその手の甲に口付ける。
「ここだけではない。ザールブルグの町中・・・いや、シグザール周辺もすべて、お前の思い出が詰まっていて・・・お前を思い出さない日はなかった・・・」
伏せ目がちに吐き出される思いに、リリーの胸は締め付けられる。
自分はずいぶんと酷い事をしたのかもしれない。
自らの為に生きる事ができないこの人を、義務と思い出に縛られたこの地に、置き去りにしてしまったのだから。
あの時、きっと自分がついて来てほしいと願えば、ウルリッヒは聖騎士の地位など捨ててついてきてくれただろう。でも自分はそれをしなかった。ウルリッヒと共にいたのでは、きっとその思いに溺れて錬金術を広める事に没頭できないと、心のどこかで悟っていたから。
ウルリッヒもまた自分のその思いに気付いていたのかもしれない。だから自ら一緒に行きたいとは、決して言わなかった。
いつも自分のことを優先に考えてくれるウルリッヒの思いを知りながら、そのまま旅立った。
たった一つのものしか追う事ができなかった、不器用で幼い、あの頃の自分。
そのせいでこんなにもウルリッヒを傷つけてしまった。
リリーはウルリッヒの頬に走る傷に指を這わせる。
「あぁ、これか。・・・少しばかり無茶をしすぎた」
自嘲気味にウルリッヒは言う。
頬だけではない。露出した部分に走る、いくつもの傷。きっと衣服に隠れた部分にもあるに違いない。
ウルリッヒは昔、こんなに体を傷つけるような戦い方をする人間ではなかった。
自らが傷付く事を厭わず、いや、むしろ傷つく事を望むように戦うウルリッヒ。
きっと心の傷は体の傷よりも、深くて酷い。。
想像するだけで胸が痛んで、リリーはウルリッヒの頭をそっと自分の胸に抱き寄せる。
ウルリッヒはされるがまま、リリーの胸に頬をうずめて目を閉じた。
その頭をあやすように優しく撫でると、ウルリッヒの口から切ない吐息がもれる。
「こんなに満たされた気持ちになるのは、いつ以来だろうな・・・」
リリーは母親がするように、ウルリッヒの頭を何度も何度も優しく撫でる。
少しでも心が安らげますように。少しでも心の傷が癒えますように。
願いを込めて何度も。
するとウルリッヒはそのままずるずると身を沈めて、リリーの膝の上に頭を落ち着ける。
リリーは自分の膝枕の上に納まったウルリッヒの頭を再び撫で始める。
窓からは午後の優しい日差しが差し込んでいる。
とても穏やかな時間。

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