
永久に・・・ 【4】
リリーは教会を後にすると、懐かしい町並みを眺めながら、街外れに向かって歩き出す。
来た時は周りなどほとんど目に入っていなかった。
気持ちは真っ直ぐ城門に、ただウルリッヒに向かっていたから。
だが今は違った。ウルリッヒに早く会いたいとは思うが、焦りはない。
地図のない宝探しのようなものだ。焦っていてはすぐに参ってしまう。
リリーはゆっくりと歩きながら、久々に目にする町並みに視線をめぐらせる。
よく買い物に来たパン屋さん、いつも依頼に来ていたおしゃれな奥さんの家、イングリド達が目を輝かせていたおいしいお菓子屋さん。
あれも一種の愛情表現と近所の人が苦笑ながらに語っていた、いつも夫婦喧嘩の声が絶えない家は、今日も相変わらず奥さんの怒鳴り声と物の壊れる音が響いている。
リリーの顔に自然と笑みが浮かんでくる。
ここにいた頃は当たり前だった景色が、なぜこんなに輝いて見えるのだろう。
些細な思い出すらも、とても大切に思える。
思い出に浸りながらきょろきょろと視線をめぐらせ歩いていたリリーは、不意に足を止めた。
視線の先には町並みの隙間にわずかにのぞく、赤い三角屋根。
とたんになぜ忘れていたのかと不思議ななるほど、暖かい気持ちが溢れ出してくる。
リリーの工房。たった数年だったが、間違いなく我が家であった場所。
この街でもっとも幸せで楽しい思い出の詰まっている場所。
リリーは迷いもなく裏道に入り込むと、職人通りへと向かう。
どこの道を抜ければ最短距離で目的地に行けるのか、時間がたった今でも体がしっかり覚えていた。網目のような裏道を迷いもなく進んでいく。
すると、わずかに見えるだけであった工房の屋根が、徐々に姿を表してくる。
二階に見えるイングリド達の部屋の窓、ドルニエの書斎、リリーの部屋。
薄暗い裏道を抜けると、見慣れた職人通りへと出る。工房はもうすぐだ。
工房の白い壁、カーテンの引かれた窓、なぜだかホウレンソウの生えてくる花壇。
そして今はもうないけれど「Atelier Lilie」の看板がかかっていた支柱。
すべてが懐かしい。
思い出に浸っていたリリーは、だから、かなり近くに来るまで気がつかなかった。
工房の前で同じく建物を見上げている人物がいることに。
旅人だろうか。少し薄汚れたフードつきの白いマントを着ている。
マントからのぞく引き締まった腕は、わずかに日に焼けていた。
フードを目深に被っているので顔はよく見えないが、頬に走った大きな傷が印象的だ。
旅人は工房の向かい側に達、ただ黙って工房を見上げている。
しまった窓やきっちりと引かれたカーテンからするに、工房に人が住んでいるとは思えない。
無人の工房に旅人が何の用だろうと思いつつ、何かが心の琴線に触れているのを感じる。
それが何かわからないまま、ようやく声の届く距離まで近づいたリリーはその人物に声をかけた。
「何か御用ですか?」
すると弾かれたように旅人が振り返る。
一瞬の間の後、日に焼けた腕がパサリとフードを背後に落とす。
長い金色の髪がふわりと広がって背に落ち、その青い瞳がリリーを射抜いた。
昔と同じ、へーベル湖のように静かで深い色をたたえた瞳。
容貌は変わっても、その瞳だけは昔とまったく変わらない。
リリーを捕らえたその瞳が大きく見開かれ、唇が動く。
声は聞き取れなかったけれど、その唇は確かにこう呟いたのだ。
リ・・・リー・・・と。
「・・・あ・・・ぁ・・・」
嗚咽の漏れる口元を抑えたリリーの瞳からは、大粒の涙が零れ落ちる。
「・・・っ・・・ウ・・・ル・・・リッヒさ・・・まぁ」
リリーは泣きながらウルリッヒに駆け寄ると、勢いよくその胸に飛び込んだ。
ウルリッヒはその体を受け止めると、その体を折れるほど、きつくきつく抱きしめる。
「・・・リリー・・・やっと・・・・・・会えた・・・」
耳元で切なそうに囁く擦れた声と、息苦しいほど強く体に回された手が、ウルリッヒの思いをリリーの体に直接伝える。
リリーも自分の気持ちが伝わるように、背中に回した腕に力を込めた。
「あたしも・・・会いたかった・・・」
どうして離れていられたのか不思議なほど、心が、体が、お互いを求めている。
離れていた時間を埋めるように、二人はただ、抱きしめ合う。

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