永久に・・・ 【3】


ウルリッヒが自分を探しに行ったのなら、自分もウルリッヒを探しに行こう。
エンデルクの話を聞いて、リリーはそう心に決めていた。
探すといっても手がかりは何もない。それでも不思議と心は躍っていた。
開き直りという奴だろう。昔からそうだった。
くよくよと思い悩んでも仕方ない。思い切ってやってしまえば何とかなるものだ。
それぐらいの思い切りがなければ、見知らぬ土地でアカデミーを建てる事などできない。
青く晴れ渡った空を見上げると、キラリと陽光を反射する高い屋根の上に飾られたアルテナの紋章が目にとまる。
すぐに今来た道を戻ろうとしたリリーは、、思い直して道を左に折れた。
建国以来シグザール城と共にここにあるフローベル教会。
たくさんの思い出の詰まった場所。
リリーは初めてここを訪れた時と同じ様に、わずかな緊張と好奇心に胸を高鳴らせながら、歴史の長さと同じ重みの扉を押し開ける。
教会の中は昔と変わらずひんやりとした湿った空気と、古い建物独特の匂いが満ちていた。
入り口を少し入った所に、相変わらず飲んだくれて眠っているおじさんがいて、高い天井にシスターの奏でるパイプオルガンの音が響き渡る。
「ここは変わらないな」
リリーはなつかしそうに幾重にも並ぶ礼拝用の椅子の背に順番に触れながら、ゆっくりと教会の奥へと歩みを進めていく。
「ここで・・・よくウルリッヒ様と会ったっけ」
静かな場所を好むウルリッヒは城門にいない時、ここか街外れに大抵その姿を見つけることができた。だからリリーはいつも用もないのにここに顔を出し、運良くウルリッヒの姿を見つけられると密かにアルテナに感謝したものだ。しかし今から考えれば不謹慎にもほどがあるかもしれない。
「不謹慎っていえばウルリッヒ様ったら場所も考えずに『美しい瞳だ・・・』とか言うから、よくクルトさんに睨まれたっけ」
リリーの口から笑いが漏れる。
だがここでの思い出は楽しい思い出ばかりではない。
リーク毒に倒れたウルリッヒを思って、一晩中祈りをささげたこともある。
しかし今となってはそれすらもウルリッヒとの懐かしい思い出のひとつだ。
リリーはあの時と同じように胸の前で指をを組むと、アルテナに祈りを捧げる。


どうかあの人が無事でありますように。
そして、必ず出会えますように―――。


リリーの祈りを運ぶように、パイプオルガンの音が天へ向けて高らかと鳴り響く。
そしてリリーが長い祈りを終えた頃、奏でられた最後の一音が余韻をもって消えていく。
賛美歌を弾き終えたシスターは、そのまましばらく目を閉じてアルテナに祈りを捧げていたが、やがて静かに席を立つと控え室の方に去っていった。
教会内に静寂が満ちる。
目線をあげると、ステンドグラスから差し込んだ光が、アルテナの像を優しく照らしだしている。普段見るとただの石像だが、心に迷いがある時、それは真実救いの神になるのかもしれない。
自愛に満ちた笑みを浮かべるアルテナの像に心癒されるものを感じながら、そうリリーは思った。



しばらくそのまま立ち尽くしていたリリーが、そろそろ教会を後にしようとしたその時、再び控え室へと続く扉が開き、懐かしい人物が姿を表す。
この教会と同じように、出会った頃からまったく変わらないその姿。
白い修道服に身を包み聖書を脇に抱えた神父は、リリーの姿を認めると目を見開く。
「あなたは・・・」
「クルトさん、久しぶりですね」
リリーが笑顔で声をかけると、クルトも目元を和ませてリリーのもとにやってくる。
「ほんとうに・・・。いつ戻られたのですか?」
「ついさっきです」
するとクルトの表情がわずかに曇る。
「それでは・・・ウルリッヒ殿の事はまだ?」
「ウルリッヒ様のことなら・・・エンデルクさんから聞きました」
リリーはあえて”ウルリッヒが生きている事”という言葉を外してあいまいに答えた。
自分とウルリッヒの関係を知っているからこそ、こうして心配してくれているクルトに申し訳なく思いつつも、公には戦死ということになっている以上、エンデルクが自分だけに語ってくれた真実を、不確定な状況で口にすべきではないと思ったからだ。
するとクルトはそれを感じ取ったのか、確かめるように
「それは・・・公の事実を?」
と言ってリリーを見つめる。
「いいえ、真実を」
クルトがあえて公の事実と言うという事は、真実は別にあると知っているという事だ。
リリーは強い瞳でクルトを見返す。
クルトはリリーの言葉を聞いて安心したように微笑む。
「そうですか。あなたが公の事実の方を耳にして心を痛めるのではと心配していたのですが、きちんと真実が伝わったのですね」
「クルトさんも知ってたんですね」
「ええ。ウルリッヒ殿はよくこちらにお見えでしたから。本人からはっきりと聞いたわけではありませんが、ここに最後にやってきた時の顔を見て、彼の事を良く知っている者ならそう気付くでしょう」
クルトは振り返るとアルテナの像を見上げる。
「あなたはウルリッヒ殿と前隊長の話はご存知ですか?」
「ウルリッヒ様を庇って亡くなったっていう」
「そうです。ウルリッヒ殿はそれ以来、ただ自分の所業を悔い、懺悔する為だけに、時間が空くとここで祈りを捧げるようになりました。」
クルトは聖書を胸に抱えると目を閉じる。
「その姿があまりに痛ましいので、私も何度もあれはあなたの所為ではないと諭したのですが、彼は決してそれを受け入れようとはしませんでした」
リリーはクルトの話を聞いて衝撃を受ける。
ウルリッヒは静かな場所を好んでここに足を運んでいるのだとばかり思っていたが、それがまさか自分をかばって死んだ隊長の魂に祈りを捧げるためだったとは。
そんな彼に用もないのに話し掛けていた事に、今更ながらに自己嫌悪に陥っているリリーに、クルトが再び視線を戻す。
「ですが、その彼があなたがこの街に来て以来、少しずつ変わっていきました」
「あたし、ですか?」
驚いて思わず自分を指で指し示すリリーに、クルトは笑顔で頷く。
「ええ、あなたですよ。あなたと一緒にいる姿をよく見かけるようになって以来、ウルリッヒ殿は無為にここへ足を運ぶ回数が減りました。もちろんアルテナ様を崇めるのは良い事です。でもそれはあのように自分を痛めつける為ではなく、心安らかになる為でなければならない。ですから、ウルリッヒ殿がここへ足を運ぶ回数が減る事はいい事だと思いました。減ったといっても日に1度祈る事は欠かしませんでしたが、それは以前の痛ましい姿とは違い、ただ大切な人のために祈りを捧げているだけでしたから。笑う事を忘れてしまった彼に、笑顔を取り戻し、最後には愛を囁くようにまでさせたのはあなたです」
クルトはまるで眩しいものを見るかのように目を細める。
「あなたはたいした人ですね。私の間違いを正し、迷える魂を救う。まるでアルテナ様の化身であるかのように・・・」
「化身だなんて・・・そんな大げさな」
ふるふると首を振るリリーの手をクルトはそっと捕まえる。
「だからこれは私の身勝手な願いですが、あなたにはもう一度、迷える魂を救っていただければ、と思います。これはあなたにしかできない事です」
いつにないクルトの強い口調と掴まれた手に、リリーはなんとなく違和感を覚えながらも口を開く。
「あたしには救うとかそんな大層な事はできないですけど、・・・でもこれからウルリッヒ様を探したいと思ってます」
「そうですか」
答えを聞いてクルトはリリーの手を離すと、いつもの笑顔に戻る。
「あなた達はきっと共にあるべき定めなのでしょう。無事会えることを祈っています」
さっきまでの違和感がうそのように元に戻ったクルトに、リリーは小首をかしげながら別れを告げる。
「それじゃあ、あたしもう行きますね?」
「お気をつけて。あなたにアルテナ様のご加護があらん事を」
「クルトさんもお元気で」
リリーはひらひらと手を振ると教会を後にする。
一人教会内に残されたクルトはアルテナの像に歩み寄ると、リリーのぬくもりの残る手を胸に手を当てて目を閉じる。
「どうか、あの二人をお導き下さい」