
永久に・・・ 【1】
ようやく馬車がシグザールの外壁前に停車した。
長旅に疲れた人々が、安堵のため息をつきながら次々と馬車から降りていく。
御者は全員降りたのを見計らうと、忘れ物はないかと客車をのぞいた。
すると最後の客が降りてからずいぶん経つというのに、女の客が一人、席に座ったままなのに気付く。
「お客さん。シグザールに着きやしたけど、降りないんですかい?」
訝しげな御者の声でリリーはようやく我に帰った。
城壁が見えた時はすぐにでも飛び降りて駆け出したい気分だったのに、着いたとたん体が固まってしまったのだ。
「あ・・・あぁ、ごめんなさい。すぐに降ります」
リリーは慌てて立ち上がるが、足が震えてしまう。
「馬車酔いですかい?こいつぁ慣れないと酔う人が多いんでさあ」
勝手に決め付けて同情する御者の手を借りて、リリーは何とか地面に降り立った。
「はいよっ」と言う掛け声と共に、馬車が出て行く。
リリーは改めて周りの景色を見渡す。
目の前には採取に行く際、よくみんなと待ち合わせした門と、真っ直ぐシグザール城へと続く道が続いている。
ずっと、ずっと、帰りたかった場所。
ケントニスよりも自分にとってずっと大切な場所になった街。
そして何より、自分のもっとも大切な人がいる場所。
ようやく足を踏み出せばすぐ届く場所までやってきている。
なのにその足はまるで鉛のように重く、まったく動かなかった。
心もまた同じ。ぼんやりとした空虚感が漂うだけで、感情がどこかうまく繋がっていない感じ。
リリーは呆然とただ、城門の前で立ち尽くす。
その時、ポテっと何かやわらかい物が足に当たる。
続いて「いったーい」という声。
リリーが何事かと足元に目をやる。
すると足元で緑色の帽子をかぶった妖精が、採取した品物を撒き散らして地面に転がっていた。
「妖精・・・さん?」
妖精は妖精だが、リリーの所で働いていた妖精とは違うようだ。
地面に転がったまま頭をさすっている妖精を、リリーはとりあえず助け起こそうとする。
するとその瞬間、妖精が大きな叫び声をあげる。
「ひぇぇぇぇー、急がなきゃ急がなきゃ急がなきゃ!こ〜ろ〜さ〜れ〜る〜!!」
妖精は叫びながらぴょこりと起き上がって、ぶちまけた品をかき集めると、リリーのことなどお構いなしで一目散に町の中に向かって駆けていく。どうやらよほど恐ろしい人物に雇用されているらしい。
その様子を呆然と眺めていたリリーが、ぷっと吹き出す。
すると、とたんに気持ちが軽くなった。
一歩足を踏み出してみる。
動いた。
もう一歩踏み出す。
ゆっくり、ゆっくり、リリーは足を踏み出していく。
門を潜り抜け、町の中に足を踏み入れる。
数年前と変わらない町並み。
ここには懐かしい思い出の場所がたくさんある。
でもリリーの足はそこへは向かわなかった。
ただひたすらに道を真っ直ぐに進んでいく。
最初はゆっくりだった足取りが、だんだんと早まっていく。
あの日、他の土地で錬金術を広めるために、すべてを捨てて旅立った。
約束された地位も、仲間や友達も、そして・・・愛する人も。
その時はただ、錬金術に打ち込みたかった。ザールブルグのように他の土地の人にも錬金術に親しんでほしかった。それが使命だと思っていた。
だから旅立ったリリーはたどり着いたここよりさらに東の国で、ただひたすらにアカデミーの建築に没頭した。
その土地で錬金術を広めるのは楽しかった。
でもそれと同じぐらい、心はどこか飢えていた。
無理やり押し込めた想いは消える事はなく、むしろ膨らんでいくばかり。
錬金術を広めたいという思いは変わらないのに、それと同じぐらい想いは強くて。
だから、ただ錬金術に没頭した。でないと、二つの思いに挟まれて、気が狂いそうだったから。
幸いにもその土地の人々は錬金術に関心が強く、ザールブルグの時よりも早くアカデミーを建てる事ができた。アカデミーの運営を任せる事ができる、弟子もできた。
その瞬間、リリーの頭には帰ることしかなかった。
もっともっと他の土地にアカデミーを建てたい。その思いはまだ深く根付いている。だからまた新たなる土地に旅立つのだろう。
でもその前にどうしてもザールブルグに帰りたかった。あの人に会いたかった。
会ってその後どうするのかとか、そんな事は二の次で。
ただ会いたい。・・・それだけ。
会わなければきっと心が壊れてしまう。
だから必要最低限のものだけを鞄に詰め込んで、シグザール行きの馬車に乗り込んだ。
リリーは後半ほとんど全力疾走で城の前まで走り抜けた。
道行く人が勢い良く走り抜けていくリリーを好奇の目で見るが、そんな事は気にならなかった。
ただ会いたい。その気持ちだけが体を突き動かしていた。
ようやく城門の前までたどり着いたリリーは、しかし目前で足を緩める。
いつもウルリッヒがいたはずのその場所に佇む、違う人物。
黒曜石のような長い黒髪と、射抜くような鋭い視線を放つ黒い瞳。
明らかにこの土地の出身者ではない、その容貌。
「何の用だ?ここから先は一般人の立ち入りは許可されていない」
眼光と同じく鋭い口調に、リリーは思わずすくみ上がる。
「あの・・・あなたは?」
「私は王室騎士隊隊長のエンデルクだ」
「隊長って・・・じゃあウルリッヒ様は?」
ウルリッヒの名にエンデルクの眼光が細められた。
「・・・もう・・・ここにはいない」
「ここにはいないって!?」
「数年前の戦役で戦死されたのだ」

|