き ざ し









朝。


心地の良い眠りを貪っていた夢路は、ゆらゆらと身を揺すられて、無理矢理眠りの世界から引き戻される。黒いオーラを纏い付かせ、瞼を押し開いた夢路は、視線だけを動かしてその犯人をギロリと睨み付けた。
だが妖ノ宮はそれ動ずることもなく、おはようとばかり、にこりと微笑む。
普通なら一炙りされそうなものだが、夢路は眉間に皺を寄せたまま視線を正面に戻すと、もそりと半身を起こす。


平素からいつ爆発するか分からない火薬庫の様な夢路だが、寝起きは特に機嫌が悪く、彼を起こすのは文字通り命懸けだ。
唯一夢路を爆発させる事無く起こせるのは凪なのだが、最近はなぜだかそこに妖ノ宮も加わり、最近では夢路を起こすのは妖ノ宮の仕事となっていた。


夢路は半身を起したまま暫くぼーっとしていたが、やがて気だるげに布団から這い出し、身支度を始める。それを確かめて、妖ノ宮は庭へと続く障子を開けるべく立ち上がった。


流れ込む少し冷えた空気に、残滓の様な眠気が払われていくのを感じながら身支度を整えていた夢路は、ふと物足りなさを感じて首を捻った。
部屋の中に響くのは障子が桟を滑る音と、衣擦れの音だけで。
いつもなら障子を開けながら、とりとめのない事を楽しげに話す妖ノ宮が、そういえば今朝は一言も口をきいていないのだと気付いて、夢路は彼女の方へと視線を向けた。


「珍しく静かだな」


丁度障子を開け終えて戻って来た妖ノ宮は、困ったように眉を顰めると口を開いた。
だが漏れるのはいつもの様な鈴を転がすような声ではなく、隙間風の様な音だけで。


「何だ、お前、声が出ないのか」


夢路の問いに、妖ノ宮は困り果てた様な顔で喉に手を当てると、こくりと頷いた。


「アハハハハ、どうせ布団でも蹴り飛ばして寝てたんだろ」


それに抗議する様に妖ノ宮は柳眉を逆立てて口を動かすが、ひゅうと掠れた音しか出ず、無理して声を出そうとした所為か少し咳込む。


「風邪だな。で、熱は」


笑いを収めて、夢路はすっと手を伸ばす。
当然額に触れるのだと思ったそれは、なぜだか肩を掴み。
えっと思った時にはこつりと額に触れる感触と、至近距離に夢路の顔。


「少し、熱いな。今日はおとなしく寝ていろ」


それに動揺する間もなく、ひょいと抱きあげられて、さっきまで夢路が寝ていた布団の上に放り出される。


       これはもしかしなくても、ここで寝ろということだろうか。


ぱちくりと瞬いて夢路を見上げるが、彼は涼やかな顔で布団など掛けようとしていて、妖ノ宮は先ほど以上に困り果てた顔をした。
寝るのなら部屋に帰って寝ますと言いたいのだが、困った事に声が出ない。
とりあえず体を起して帰る意思を示そうとすると、夢路は不機嫌そうに眉間に皺を寄せ、肩を押さえつける。


「大人しく寝ていろって言ったよね」


殺気を孕んだ眼差しを正面から見つめ返し、だから自分の部屋に帰って大人しく寝ますと訴えてみるが、もちろん以心伝心といく訳もない。妖ノ宮はそのまま暫く夢路と睨み合っていたが、やがて諦めたように体を横たえた。


「それでいい。あんまり面倒かけるなよ」


上掛けを肩口まで引き上げると、夢路は満足げに微笑む。


「薬をもらいに行ってくるけど、分かってるよね?」


言外に抜け出したら燃やすと告げる夢路に、布団の中からこくりと頷くと、彼は部屋を出ていく。その背中を見送って、妖ノ宮はそっと溜息をもらした。
とりあえずはここで大人しく寝ているしかないらしい。
夕方まで寝ていれば多少は良くなるだろうから、その時にうまく帰るしかないだろう。
覚悟を決めてしまえば、夢路のぬくもりが残った布団はほんわりとあたたかくて、思わず頬が緩む。幸せをかみしめる様に瞼を閉じると、途端に気だるさと眠気が襲って来て、妖ノ宮は小さな吐息を洩らした。


それから彼女が夢の世界に旅立つのはすぐ後のこと。




2008/12/02








沈蛇湖襲撃から凪が死ぬまでの間、夢路と妖ノ宮は結構仲良くしていたっぽいけど、ずっとその様子がいまいち想像つかなかったんですが、このネタを書いててようやく納得。
口調は相変わらず厳しいけど態度はベタ甘い…って、典型的ツンデレでした。