い と お し い





「ふう…」


むっと淀んだような暑さの中、そよそよと気休めの様な風を起こしていた扇を閉じて、妖ノ宮はため息を漏らした。
夏は暑いものと決まってはいるが、今年は特に暑く感じる。
通り雨でも降れば少しは涼しくなるのだろうが、空を見上げても高く蒼く澄んでいて、日差しが陰る気配もない。
せめてもの涼を求めて傍らにある水差しに手を伸ばしたが、その軽さに、そういえば先程すべて飲み干してしまったのだと思い出す。
しばしの逡巡の後、妖ノ宮は仕方なく重い体をを起した。
そのまま炊事場へと向かいかけて、ふと足を止める。
水瓶に入っている水は、この暑さですっかり温んでいるに違いない。
それよりも少し足を延ばして、川まで冷たい水を汲みに行った方が良いだろうか。
頬に手を当て暫し思案に暮れていると、不意に背後からバタバタと足音が近づいてくる。
それはものすごい勢いで彼女の脇を通り抜け、すかさず前に回り込むと、がしっと妖ノ宮の肩をつかむ。


「何をしておるのだ、妖ノ宮!」


「水差しの水がなくなってしまったから汲もうと思ったのだけど、水瓶の水と川の水、どちらがいいかと思って」


ぜいぜいと息を切らす伽藍に、手にした水差しを掲げて見せれば、あっという間にそれを引っ手繰られる。


「そのような事は我がする故、ヌシは座っておれ。転んでもしもの事があったらどうするのだ」


息巻く伽藍に妖ノ宮は困った様に微笑むと、その頬にそっと手を添える。


「伽藍、私は病人ではないのよ」


「だが…」


伽藍の視線がおろおろと、妖ノ宮の顔と、すっかり丸みを帯びた彼女の腹の間を、行き来する。
そう、彼女の腹には新しい命が宿っているのだ。
それが分かって以来、伽藍は妖ノ宮を下にも置かぬ有様で、周りの愛情のこもった失笑をかっている。


「別に安静にする必要はないの。あまり身が重くなるとお産も重くなるから、多少は動いた方がいいぐらいよ」


あぁ、やっぱり散歩がてら川まで行ってこようかしらと呟くと、伽藍はピクリと毛を逆立てて、頬に添えられた手を握りしめた。


「とにかく!水なら我が川まで行って汲んでくる故、部屋で待っておれ。よいな!」


そう言い置いて、止める間もないまま疾風の如く駆けていく伽藍の後姿を、慈愛を込めた眼差しで見送って、妖ノ宮はそっと溜息をもらした。


「……本当に困った人ね」


愛しむ様にまろやかな腹をそっと撫でる。


「今からこれでは、あなたが生まれたらいったいどうなるのかしら」


それに答えるように、掌にポコリと衝撃が伝わった。






2008/11/03







姫様が懐妊したら、伽藍ってすごい過保護になりそうだなぁと思い、そんな過保護な伽藍萌えで書いてみました。