み ち し る べ








闇に沈んだ南風の海岸に、鳩羽は一人佇んでいた。
分厚い雲に隠された月から漏れる光は儚く、空も海も暗く淀んでいて、境目さえ分からない。その暗闇の中、置き火の様にぽつりぽつりと浮かぶのは、対岸の古閑の港町の明かりだろうか。
もうすぐそこ、敵国の喉元に刃を突き付けているというのに、元紀の命で明日には国境まで撤退しなければならない。


「何をやっているのだろうな、私は…」


鳩羽の口元に荒んだ笑みが浮かぶ。
神流河の為に戦っているというのに、いつもその神流河から首を絞められる。
大義は失われ、この景色の様に行くべき道が見えない。


いっそ何もかも投げ出してしまおうか…。


投げやりな気持ちで最果てを眺めていると、不意に背後で砂を踏みしめる音が響いた。
とうとう直接刺客を送り込んできたかと太刀に手を懸け振り向けば、闇から溶け出るように現れたのは、緋色の着物と暗闇でも尚光り輝く様な琥珀の瞳。


「……あなたか」


呟きと共に纏っていた殺気は消えたが、相変わらず荒んだ気配は纏ったまま。
だが妖ノ宮はそれに怯む事なく傍までやってくると、何を言うでもなく静かに彼を見つめた。


      曇りの無い真っ直ぐな眼差し。


いつもは好ましく感じているそれが、今宵ばかりは疎ましくて、鳩羽は視線を逸らした。


「ここは前線だ。あなたの様な方が一人で出歩くべきではない」


遠まわしに自分に構うなと告げる。
聡明な妖ノ宮ならそれに気付かぬ筈はないというのに、それでも眼差しは揺るがない。
真っ直ぐすぎるそれに、不条理ないら立ちが募る。


「すまないが、一人にしてくれないか」


直接的な言葉を投げつけて、拒絶する様に背を向けた。
これが八つ当たりだという事は、心のどこかで分かっている。
姫を傷つけている事も。
それでも、ささくれ立った心は押さえがきかず、鳩羽は拳を握りしめた。
すると指先が白くなる程握りしめた拳に、ふわりとあたたかな物が触れた。
小さな手が、労わる様に、励ます様に、鳩羽の手を包み込む。

その温かさに    心が震えた。
やわらかなぬくもりに触れて初めて、鳩羽は自分がずいぶんと凍えていたのだと気付かされる。
体も、心も。
荒んだ心に直接染み亘る様なそのぬくもりに、凝り固まった心が解かされていく。


ぎこちなく緩々と視線を戻せば、先ほどと変わる事無く真っ直ぐな琥珀の瞳が鳩羽を見つめていた。
揺らぐ事無く自分を信じる温かな眼差し。
なぜそれを一瞬でも疎ましいなどと思ってまったのだろう。
荒んだ光を浮かべていた鳩羽の瞳がゆっくりと凪いでいくのを感じて、妖ノ宮は静かに微笑んだ。


「戻りましょう?みんな待っているわ」


「…そう、だな」


ため息の様に呟いて、鳩羽は瞑目した。
例え国に切り捨てられようと、自分には命を預けてくれる兵達と、信頼を寄せてくれる姫がいる。
それだけは、何があっても守り通さなければならない。


いや、と、鳩羽は口元に笑みを刻んだ。


守られているのは私の方か。


こうして信じてくれる者達がいるから、自分は立っていられる。
光差さぬ暗闇の中でも、導いてくれるぬくもりがあるから道を失わずに済んだのだ。
鳩羽は静かに目を開いた。
揺らぐ事なく見つめる瞳にやわらかな眼差しを返して、温かな手をそっと握り返す。


「妖ノ宮」


そこで鳩羽は一端言葉を切った。
今この胸にある思いを、どう伝えればよいのか。
自分でもよく分からない、でもあたたかくて大きなこの想いを、表現する言葉は何なのか…。


「……ありがとう」


思い悩んだ末、結局口からこぼれたのは至極単純な言葉で、こんな言葉では言い表せないと分かっているのに、それでもこれ以上の言葉が見つからない。
自らの語彙の無さに鳩羽が歯噛みしていると、わかっているという様に妖ノ宮がその手をそっと撫でる。
伝わっているのだろうか。自分が感じた様に、触れた部分から、この想いが。


ありがとう、と、もう一度告げる。


「妖ノ宮…ここに居るのが、私の元に来てくれたのが、あなたで良かった」





2009/10/30






鳩羽を攻略した時、「この人、絶対恋愛イベントが足りてないよ。こうなったら妄想で補完だ、補完!!」と考えたのがこの話。あのやさぐれ鳩羽イベントには、やっぱり姫様にフォロー入れていただきたいですよ。ついでに遺児は誰でもよかった認識も改めるといい。