お ち る








「妖ノ宮、少し良いだろうか」


「珍しいわね、鳩羽が来るなんて」


 鳩羽が部屋を尋ねると、妖ノ宮は読んでいた書から目を上げて、穏やかに微笑んだ。
 他にする事がないからと、鳩羽の元から兵法書を持ち出すようになって数か月。
 すぐに飽きるだろうと思っていたが、今手にしているのは最も高度な部類の物だ。
 最近は理論だけでは飽き足らず、日々沢渡と過去の戦の状況を教材とした、実践的な軍略の勉強まで始めている。
 鳩羽も時間がある時に何度か付き合ったが、呑み込みが早く、思考も柔軟で、時には鳩羽が思いもよらない様な作戦を提案したりもする。


 さすがは覇乱王の娘というべきか。これがもし男子であったなら、共に戦場を駆け、何れは主と仰ぐにふさわしい王になったであろうに。


「鳩羽?」


 怪訝そうな妖ノ宮の声に、鳩羽は苦笑を浮かべ、埒もない思考を振り払った。
 考えた所で姫は姫でしかなく、それ故に今日はここへ足を運んだのだ。
 妖ノ宮の前に坐した鳩羽は、何やら懐から取り出すと畳の上を滑らせ、彼女の前へと差し出した。


「今日届いた補給物資の中にこの様な物が混じっていたので、姫にどうかと思ったのだが」


 除けられた手の下から現れたのは、僅かに碧みがかった硝子の瓶。
 中には色とりどりの小さな星の様な物が詰まっている。
金平糖という名の、その渡来の菓子は、まだ八蔓でも珍しく、身分の高い者達の間でも珍重されている。
 故に当然喜ぶものかと思ったが。
 妖ノ宮は目の前に差し出されたそれを受け取るでもなく、ただ、ただ、じっと見つめている。


 女人なら喜ぶだろうと思ったのだが、目の前の大人びた姫には不要な物だっただろうか。


 不要ならば無理に受け取らなくても構わない。
 鳩羽がそう口を開きかけた時。
 不意に妖ノ宮の眼差しがふわりと和らいだ。
 そして、そっと伸ばした両の手で硝子の瓶を包むと、とても大切そうに胸元に引き寄せる。
 その拍子に瓶の中の金平糖がしゃらりと涼やかな音をたて、妖ノ宮は幸せそうに微笑んだ。
 それは甘い甘い砂糖菓子の様な笑み。
 そんな姿を見ていると、いくら戦略に長け、大人びて見えても、やはり年相応の少女なのだと思う。
 鳩羽の口元にも自然、笑みが浮かぶ。


 そして    


 不意に指先に触れた、さらりとした髪の感触と、驚いたように見開かれた妖ノ宮の瞳と。


「す、すまない」


 知らず、妖ノ宮の頭を撫でていた事に気付き、珍しくうろたえる鳩羽に、妖ノ宮はふるふると頭を振って。
 僅かに瞼を伏せたまま、ふわりと笑みを浮かべた。




     それは先ほどと同じ、甘い甘い砂糖菓子の笑み。





2009/10/28






おちる=恋に落ちる。

…とまではいかないけど、鳩羽の中で「大人びた覇乱王の娘」から「かわいらしい姫様」へと、認識が切り替わった瞬間(無自覚←重要)。