し か え し









部屋の中に眩い光が溢れ、その中に次第に人影が浮かび上がる。
「いらっしゃい、聖」
いつもの様に手順も踏まず、いきなり現れた聖を、妖ノ宮は笑顔で出迎える。
それに、いつもならぎこちないながらも微笑で答えてくれる聖が、じっと自分を見つめたままなのに気付いて、妖ノ宮は小首をかしげた。
途端にくっと髪を引っ張られるような感覚がして、ようやくその理由に気付いた妖ノ宮は、恥ずかしげに視線を落とした。
「暑いから髪を結えてみたのだけど。……変かしら?」
落ちつかなげに髪を梳きながら、聖にちらりちらりと視線を向ける。
それに心中で否定の意を漏らして、聖は彼女の姿を見つめた。
いつもは背に流したままの髪を高い位置で一つに結え、束になった髪を片方の肩に流した姿は、いつもよりも少しだけ大人びていて、とても……。
そこでは我に返った聖は、フイと視線をそらした。
「いや、別に…」
その素っ気ない言葉とは裏腹に、僅かに赤く染まった目元に、とりあえず気に入らない訳ではないようだと判断した妖ノ宮は、ほっと胸をなでおろした。




「また符の書き方を教えてくれる?」
「わかった」
神妙に頷いて、符を書く為の準備を始めた妖ノ宮の横に座る。
彼女が静かに墨を擦るのを待ちながら、聖はいつもと違う横顔に視線を向けた。
いつもは髪に隠されていて目にする事のない首筋。
自分とは違う、小さく形の良い耳。
それを眺めているうちに、ふと、いたずら心が湧き上がる。
何が楽しいのか、彼女は事あるごとに聖の耳を弄ぶ。
だから、たまには仕返しをしても罰は当たるまい。
口元に少し人の悪い笑みを刻んで、聖は妖ノ宮に気付かれぬ様にそっと手を伸ばした。


するりと、指先で耳の輪郭を撫で上げる。


ほんの軽いいたずら心。      だが、


「ひゃ…っ」


上がった声に、どくりと鼓動が跳ねた。




驚きの中に僅かな甘みの混じった声。
朱に染まった頬。
耳を押さえ、驚いた様にこちらを見つめる瞳は僅かに潤んでいて。




「すっ、すまない」


宙に手を浮かせたまま、反射的に謝罪の言葉を口にする。
「いえ…」
何度かゆっくりと瞬きをし、視線を落とした妖ノ宮は頬どころか耳や首筋まで真っ赤で。
ただ耳に少し触れただけなのに、何かいけない事をしてしまった様な、落ち着かない気持ちになる。


二人の間に微妙な沈黙が落ちる。


「今日はこれで失礼する」


とうとうそれに耐えきれなくなった聖は、懐から符を取り出すと、妖ノ宮が止める間もなく、逃げる様に空間を飛んだ。






目の前が光に包まれ、次に現れたのは禍々しいまでの濃い緑。
「波斯の森か」
目標も定めず飛んだ為、百錬京の外までやってきてしまったらしい。
だが今は丁度良いかもしれない。聖は崩れ落ちる様に木の根本に腰をおろした。
「私はなぜ謝ったりしたのだ。謝る必要など…」
そう、自分はいつも彼女がしているのと同じ事をしただけで、別段悪い事をした訳ではない。
なのに、なぜこんな気持ちになるのだろう。
まだ鮮明に指先に残る、やわらかな耳の感触。
脳裏に彼女の上げた甘い声が蘇る。
「何だというのだ、まったく…」
ドクドクと壊れんばかりに早鐘を打つ胸をそっと押さえて、まるで他人の物の様に理解できない自らの心情に、聖は項垂れた。





2008/11/16