
聖なる雪
今夜は聖夜祭。
各家々の窓には暖かい明かりが灯り、ささやかなパーティーが開かれている。
それはリリーの工房も同じだった。
赤々と燃える暖炉の炎。
テーブルの上には温かい料理と極上のワイン。
テーブルを挟んだ向かいのソファーには大好きな人。
他の家庭と同じく幸せな時間。
他の家庭よりも幸せな時間。
そのはずなのに―――。
窓の外を眺めるリリーの口からため息が漏れた。
向かいでワインを傾けていたヴェルナーが、視線を上げる。
「なんだ?」
「んー」
リリーは窓の外を眺めたまま、生返事を返す。
「『んー』じゃ、わからねぇだろうが」
リリーは外を眺めたまま、また「んー」と生返事を返す。
その後長い沈黙が続き、ヴェルナーがいいかげんイライラしだしたた頃、ようやくリリーがぽっりとつぶやいた。
「降らないんだなぁ・・・と思って」
「何が?」
「・・・雪」
「雪?」
「そう。雪」
「まぁ、確かに降らないな。ヴィラント山にでも行けば別だが・・・。それがどうかしたのか?」
「ケントニスではね、いつもこの時期になると雪が降るの。だから聖夜祭の頃にはよく、みんなで雪だるまを作ったり、雪合戦したりして・・・」
あの頃は楽しかったなぁと、リリーは遠い目をして楽しそうに微笑んだ。
しかしそれも一瞬で、また元の寂しげな表情に戻ってしまう。
「でもここでは降らないから、ちょっと寂しいなぁって」
リリーはまた沈んだ表情で外を眺める。
ヴェルナーは眉を潜める。
今までリリーの口からケントニスが懐かしいという言葉を聞いたことがない。
懐かしく思わないなどという事はないだろうから、きっと意地っ張りなリリーらしく、あえてそういう事を人前で口に出さないだけだろう。
だがそれを口に出すと言う事は・・・。
何とかしてやりたい。
やりたいが、さすがに気象を操る事などできるわけがない。
さっき言ったように、ヴィラント山に行けば見られない事はないが、多分そういう事ではないのだろう。
何かないだろうか。
ヴェルナーは思考をめぐらせながら、視線をさ迷わせる。
今してやれる何か・・・。
と、視線がある物の上で止まった。
ひとつ間を置いて、ニッと唇の端が上がる。
それはヴェルナーがなにか思い付いた時独特の表情。
猫科の動物のような不敵な笑み。
「リリー、あとで代わりを買ってやるから、怒るなよ!」
「えっ?代わりって・・・」
慌てて振り向いたリリーの視界を白が埋め尽くした。
ふわりふわりと舞い散る白。
それは雪。
白くて大きなぼたん雪が、リリーの上に降り注ぐ。
「うそ・・・」
リリーは幻でも見ているのかとパチパチと二・三度瞬きをするが、その雪が消えることはない。
恐る恐る手を差し出してみると、手の平に一片の雪が舞い落ちた。
しかし普通なら触れた瞬間、解けて消えてしまうはずの雪は、消えることはなかった。
雪と見えたもの。それは白い羽毛。
リリーの上に白い羽が降り注ぐ。
その向こうで不敵に笑うヴェルナーの手元には、愛用のナイフと無残に引き裂かれたクッション。
「まぁ、本物は無理だが、気分は味わえただろう?」
どうだ、まいったかと誇らしげに輝く瞳。
「ヴェルナー・・・」
リリーの瞳が揺れる。
涙が出そうだった。
でも泣くのは癪だったから、リリーは慌てて視線を伏た。
と。
「あ゛ぁぁぁー!」
視線を下げたリリーの目にとんでもない光景が飛び込んでくる。
向かい側から思いっきり羽をぶちまけたのだから、それは当然のごとくテーブルの上にも降り注いでいるわけで・・・。
朝から手間をかけて焼いたケーキやら、とってもいい色に焼けたチキンやら、その他諸々、リリーが一生懸命作った料理達も、しっかりと『雪』まみれになっていたのだった。
「ちょっとー!どうするのよ、これ!!」
もう涙などすっかり引っ込み、眉を吊り上げるリリーに、頭の後ろで指を組むと、明後日の方を見てしれっと答える。
「別いにいいだろう。食えないわけじゃないし」
それに、とヴェルナーはリリーに視線を戻す。
「お前の作ったものを俺が残すかよ」
ニッと笑う。
反則だとリリーは思った。
そんな顔をされたら、もう怒れるはずがない。もちろん本気で怒ってなどいなかったけれど・・・。
「もう!」
リリーは床を蹴り、ヴェルナーの胸目掛けてテーブルを飛び越える。
「っ!」
ヴェルナーが慌ててその体を受け止める。
無事ヴェルナーの腕の中におさまり、ふふふっと笑うリリーに、ヴェルナーは額を抑えてため息をつく。
「ったく、おまえは無茶ばっかりしやがって」
「いいじゃない。ちゃんとヴェルナーが受け止めてくれるってわかってやってるんだから」
「本当にわかってやってるんだか・・・」
またため息が漏れるが、腕の中の柔らかな感触に悪い気がするはずもない。
しっかりと抱きしめてその感触を味わっていたヴェルナーの顔に、再びさっきと同じ笑みが浮かぶ。
「それより礼がまだじゃないか?」
「お礼?」
「雪、見せてやっただろう」
「普通、自分からお礼請求する?」
「どっかの誰かさんは、請求しないとすっかり忘れてそうだからな」
「悪かったわね。忘れっぽくて!どうもありがとう。親切なヴェルナーさん!」
お礼というよりベーっと舌でも出しそうな勢いで言うリリーに、
「言葉じゃなくて行動で示してほしいもんだな」
ヴェルナーはニヤニヤ笑いを浮かべる。
「もう、わかりました!」
リリーはヴェルナーの胸に手をついて伸び上がると、キスをした。
その額に。
「俺はガキか・・・」
半眼を伏せ思いっきり嫌そうな顔をするヴェルナーに、リリーは堪え切れず吹き出す。
「うそよ。ありがとう、ヴェルナー」
リリーはヴェルナーにキスをした。
今度こそは本当に、唇に。
見つめあって笑みを交わす。
その時窓の外にひらりひらりと白が舞う。
それは聖なる夜に、天からの贈り物。
恋人たちの上に、白い雪が降りしきる―――。
2001/12/24
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