闇にたゆたう
見渡す限り続く平原は、今は夜の闇に包まれ眠っていた。
その一角にシグザール王国の紋章を青く染め抜いた大きな天幕が幾つも張られ、闇を払うかのようにかがり火が赤々と燃えている。
ここは王室騎士隊・怪物討伐部隊の野営地。
すでに見張りの者を除いて、人影はない。
怪物討伐はひと月の間延々と続く強行軍だ。
休めるときに休んでおかなければ、体がもたない。
天幕は皆、眠りの海に沈んでいた。
そんな中、ウルリッヒは一人、天幕を抜け出す。
すでに夜は更け、満天の星空に大きな月がぽっかりと浮かんでいた。
ウルリッヒは小高い丘の上を目指していく。
月明かりに照らされ、白く輝く下草が足元を照らし、虫の音が静かに響いている。
頂までたどり着いたウルリッヒは、そこに腰を下ろした。
静かに月を見上げる。
すると思い出されるのは愛しい娘の姿ばかり。
「リリー」
そっとその名を呼んでみる。
それだけで心が震えた。
口に出してみると、思っているよりずっと心が飢(かつ)えていると実感する。
まだ、ザールブルグを出て数日。
会えなくなって、たった数日だ。
なのにこの渇望感はどうだろう。
「リリー」
想いを言葉に込め、そっと吐き出す。
目を閉じれば、目の前にあまりにリアルに浮かび上がる、その姿。
いつものように抱きしめてみれば、その柔らかな感触も、温もりも、その体の甘い香りまで感じられるというのに、目を開いてみれば腕の中にその姿は在りはしない。
それがウルリッヒの心をさらに締め付ける。
いっそ早めに切り上げてしまおうか。
まだ始まったばかりだというのに、そんな事すら考えてしまう自分に苦笑が漏れる。
ウルリッヒは何かを振り払うように頭を振ると、首に掛かったチェーンに指を掛けた。
するりと引き出すと、手の中に現れたのは銀のロケット。
ウルリッヒは微笑を浮かべてその滑らかな表面に指を滑らせると、横に付いた金具に指を掛けてロケットを開く。
すると中から現れたのは、中ほどを紐でくくった栗色の髪だった。
本来はロケットといえば肖像画を入れるものだが、他の男が描いたりリーの絵など入れる気にはならなかったウルリッヒは、代わりにリリーの髪を一房もらったのだ。
いつもリリーの笑顔の横で、さらさらと揺れているその髪を。
ウルリッヒはロケットを見つめる。
「リリー、どこにいる」
「今、何をしている」
「何を思って・・・」
ウルリッヒは途中で言葉を止める。
そう、今確かに・・・。
目を閉じて意識を凝らす。
するとやはり感じる。
ほんのわずかだが、鼻腔をくすぐる甘い香り。
リリーを抱きしめた時と同じ、あの・・・。
ウルリッヒは目を開いた。
ロケットの中で月明りを浴びてつやつやと輝く栗色の髪。
「参った・・・な・・・・・・・・・ふっ・・・ははは」
ウルリッヒの口から笑いが漏れる。
声を立てて笑いながら後ろに倒れこみ、丘の上に寝転がった。
目元を腕で覆って、ひたすら笑い続ける。
しばらくしてようやく笑いの発作が治まると、深いため息がひとつもれた。
「まさかこんな土産がついていようとは・・・な」
寝返りを打って横向きになると、手の平の中で鈍く光るロケットをじっと見つめる。
「これでは余計に・・・」
ロケットを両手でぎゅっと包み込み、胸元に引き寄せる。
「・・・会いたくなる・・・」
「リリー・・・」
呟きは夜の闇に包まれ、
想いは月明かりに包まれて、
星となって
流れて消えた。
2001/12/11
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