
誘 惑
もうすぐ日が沈む。
昼間、生きとし生ける物にすべての力を分け与え、しばしの休息を取るべく家路へ向かう太陽。その残滓がすべての物を茜色に染め上げている。
普段は白く輝く外壁も茜なら、その頂に輝くアルテナの紋章も茜。
昼間は色とりどりの光の円舞曲を奏でるステンドグラスから差し込む光さえも、この時ばかりは茜色で、空気までもまるで茜に染まっているかのよう。
しかしその窓際でウルリッヒの腕の中に捕らえられたリリーの顔が赤いのは、夕焼けのせいだけだろうか。
「ダメです・・・」
リリーはウルリッヒの腕の中でわずかに身をよじる。
「なぜだ?」
耳朶を掠める低い声。
「だってこんな所で・・・」
「誰もいない」
その甘く魅惑的な声に、思わず抵抗するのを忘れてしまいそうになる。
でもここは教会の中なのだ。
「クルトさんが夕方のお祈りにくるかもしれないし」
リリーは必死に意志の力をかき集めて、その胸を弱々しく押し返す。
しかしその腕は壊れ物を扱うようにそっと廻されているだけだというのに、びくともしない。
「いや、今日は来ない」
わずかな抵抗を繰り返すリリーの事などそ知らぬ顔で、その髪に口づけを落としながら妙にはっきりと言い切るウルリッヒに、リリーは不信を抱いた。
「どうしてそんな事がわかるんですか?」
「今日、神父殿は国王陛下に呼ばれているからな。夜まで帰らない」
確信犯・・・。
リリーは思わず恨めしそうに上目遣いに睨んでみるが、ウルリッヒはちっとも堪えていないようだ。それどころか少し楽しそうに微笑んでいる。
「クルトさんが来なくても他の人が来ます・・・」
最後の抵抗で呟いた言葉は黙殺され、ウルリッヒの顔がだんだんと近寄ってくる。
そのまま唇に触れるのかと思われたが、途中でフイと横に逸れて耳元にたどり着く。
「誰も来ない」
耳元にかかるウルリッヒの吐息。
一瞬、背中がぞくりとする。
それでも誰かに見られるかもしれないという羞恥心が捨てられず、リリーはあまり力の入らない腕でウルリッヒの胸を押し返す。
ウルリッヒは羞恥と陶酔の入り混じったその表情をもう少し眺めていたい気もしたが、仕方なく左手で背中で揺れるマントの端を掴むと、そのまま壁に手を着いた。
茜に染まったマントがカーテンとなってリリーの姿を覆い隠す。
「これでいいのか」
ウルリッヒはリリーの目蓋に口付ける。リリーが何も抵抗してこないのを見て取ると、身長差を補うように背を屈めて唇を合わせた。
思考回路を麻痺させてしまうような、甘い口付け。
合間に吐き出される吐息も茜色。
茜色の床に長い影が伸びる。
やがて太陽は急ぎ足で地平線へとその姿を隠し、すべての物は闇夜に包まれていく。
床に伸びた影もやがて闇へと消えた。
2001/11/06
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