忘れえぬ日々


リリーを見つめるウルリッヒの瞳に、長く伸びた前髪が影を落とす。
お姫様抱っこよろしくその膝の上に収まっていたリリーは、それがなんとなく気に入らなくて、ウルリッヒの首に絡めていた手を伸ばすと、その前髪をかき上げた。
するとリリーの目の前に二つの蒼い瞳があらわになる。
リリーは満足そうに微笑む。
直接その瞳を見ていたい。そう思うのは恋するものとして当然だろう。
お互いに忙しくて、今日は久々に会えたと言うのに、髪の毛に邪魔されたのでは埒もない。
しかし、この憎き恋敵はなかなか曲者だった。
何度かき上げてもサラサラと元に戻って、またその瞳を隠してしまう。
この時ばかりは、いつもは大好きなウルリッヒのきれいな髪を、少し恨めしく思う。
ウルリッヒはリリーのそのかわいらしい姿を、ただ黙って見つめていた。


「髪、伸びましたね」
何度となく恋敵の排除に挑戦し、とうとうそれをあきらめたリリーは、お邪魔虫の髪の毛を一房摘み上げると、口をへの字に曲げる。
「あぁ、最近忙しくて切っている暇がなかった。寝る前に少し時間を割けば済む事なのだが、疲れているとなかなかやる気がしなくてな」
自分でも確かに煩わしくはあるのだが、といいながら前髪をかき上げるウルリッヒに、リリーは驚いて目を見開く。
「寝る前って・・・もしかして自分で切ってるんですか?」
「そうだ。職業病というのだろうか。どうも刃物を持った人間に背後に立たれるのが苦手でな。仕方なく自分で切る事にしている」
確かにウルリッヒの髪はいつも不揃いだが、それがよく似合っているので、意図的にそのようにされているのだと思っていた。それがまさか自分で切った為だとは誰も思うまい。
今更ながらに知った衝撃の事実に、リリーはウルリッヒの髪をじっと眺めてしまう。
「どうした?」
あまりにもしげしげと眺めていたので、ウルリッヒが首をかしげる。
「いえ、全然そんな風に見えなかったから。ウルリッヒ様ってすごいなぁって」
「すごいも何も、必要にせまられればやるしかあるまい。城に勤める者があまり見苦しい格好をしていては、国の恥にも繋がりかねないからな」
いかにも仕事熱心なウルリッヒらしい考え方である。
依頼が立て込んで忙しくなると、かなり酷い格好でいつも平然と店まで材料の調達に出かけているリリーは、苦笑いを浮かべる。
そんな自分をウルリッヒはどう思っているのだろうと思いながら、リリーはウルリッヒの髪に再び手を伸ばした。
さっきまで邪魔だと思っていたのに、見ているとやっぱり触りたくなる。
思いを交わして以来、度々その髪に触れるリリーに、よほど好きなのだなとウルリッヒに苦笑交じりに言われた事がある。
リリーはウルリッヒの髪が好きだった。金色でサラサラの綺麗な髪。
出会った頃からずっと、その髪に触れたくて仕方がなかった。
採取先でサラサラと風にそよぐその髪を見るたびに、何度手を伸ばしそうになっただろう。
別に自らの髪が金髪だったらと憧れているわけでもなく、他の人間の金髪を見ても別にどうとは思わないので、この髪が好きなのは、それがウルリッヒの物であるからだろうか。
ずっと憧れだった、何度その手に触れても飽きることのないそれに指を絡める。
ウルリッヒはいつものようにリリーの好きにさせると、黙ってその様子を眺めていたが、やがてそうだなと一人納得したようにうなづく。
「リリー、私の髪を切ってくれないだろうか」
「えーっ!?あ、あたしがですか?」
いきなり言われて、リリーは危うくウルリッヒの膝の上からずり落ちそうになる。
髪を切るなんて、せいぜい自分の前髪を切るぐらいしか、やった事がないのである。
それをいきなりウルリッヒの髪を切るなんて・・・。
ぷるぷるとリリーは勢いよく首をふる。
「無理無理無理!絶対無理です!!失敗して変な風になっちゃったら、どうするんですかっ」
「私が自分でやっていたぐらいだ。どうということはあるまい?」
首を傾けて斜めに流される、思わずどんな願いだろうと聞き届けてしまいそうになる魅惑的な視線に、リリーは精一杯抵抗する。
「でもっ!・・・あっ、さっきウルリッヒ様、刃物を持った人間に後ろに立たれるのは嫌だって」
あたふたと言いつのるリリーの言葉に、ウルリッヒは不意に真剣な顔になる。
「リリーならば、構わない」
リリーの体を抱きしめると、その首筋に顔を埋める。
「たとえ目の前で刃物を振り上げ、それをこの胸に突立てられても、それがリリーならば、私は甘んじて受け入れるだろう」
耳元で、穏やかなトーンで真摯に囁くその声。
「ウルリッヒ様・・・」
リリーの頬が瞬く間に桜色に染まっていく。
「だめか?」
あんなに熱烈なセリフを言われた後に、甘えるように耳元で囁かれて、否といえるはずもない。
リリーは体内にこもった熱を吐き出すように、小さくため息を漏らす。
「もう・・・わかりました。その代わりどうなっても・・・知りませんよ?」
吐息交じりのリリーの言葉に、ウルリッヒは答える代わりその首筋に口付けた。



ふわりとケープ代わりに国宝布の端布をウルリッヒの体に巻きつける。
ウルリッヒは椅子に身を預けると、微笑を浮かべ黙ってされるがままになっている。
とりあえずこの工房で一番切れそうな鋏を手にすると、リリーはウルリッヒの後ろに立った。
後ろの方が前髪よりは失敗した時の影響が少ないだろうと踏んだのである。
しかし、なんといってもウルリッヒなのだ。間違っても変な髪型にするわけにはいかない。
ウルリッヒの運命(と言うとさすがに大げさだが)が自分の手にかかっているかと思うと、かなり気が重かった。リリーの口から自然ため息が漏れる。
しかし、いつまでもこうして眺めていても埒があかないので、思い切って少し湿らせた髪を一房手に掴んだ。
真っ直ぐ揃えてしまうよりもいつもの不揃いな感じの方がいいだろうと、刃を縦にして鋏をあてがう。
しばらく戸惑ったが、やがて思い切ったように指に力を込めた。
しゃりりと音がして、リリーの手に一房の切り離された金色の髪が残る。
まるで人形の髪のような綺麗なそれに、なんとなく捨ててしまうのは惜しかったが、それでは作業が進まないので思い切って離した。床にふわりと金の糸が散る。
リリーは名残惜しそうにそれを見つめていたが、顔をあげると次の一房に鋏を入れる。最初の一回はためらいもあったが、一度やってしまえば案外吹っ切れてしまうものらしい。次からはあまり抵抗もなかった。それどころか何度か繰り返すうちに、だんだん楽しくなってくる。
錬金術をやっているぐらいだ。元々何かを作り上げるという作業が好きなのだろう。
しゃりしょり・・・しゃりしょり・・・
鋏を入れる。
そのたびに床に金色の糸が降り積もる。


そうして床が金色の絨毯を敷きつめたようになった頃。


「うん、こんなものかな」
リリーは鋏を置くと、パンパンと手を払う。
「どうですか?」
国宝布を外すとウルリッヒに鏡を手渡し、その様子を心配そうに見守る。。
それからしばらく、あちこち角度を変えて眺めていたウルリッヒだったが、やがて満足そうな笑みを浮かべる。
「やはり、リリーに頼んで正解だったな。これなら工房ではなくて美容室も開けるのではないか?」
冗談なのか本気なのかわからない口調で言うウルリッヒに、リリーは苦笑する。
「もうこんなに心臓に悪い思いはいいです。それに・・・」
リリーは幾分短くなったウルリッヒの髪に触れる。
「あたしが触りたい、切りたいと思うのは、ウルリッヒ様の髪だけだから」
だから、他の人に髪を切らせたりしちゃ、嫌ですよ?と首を傾けて甘えるように言うリリーが愛しくて、ウルリッヒは座ったままリリーの腰に手を回すと、やんわりと抱きしめる。
「もちろんだ。もうリリー以外に髪を切らせるつもりはない」
だからずっとお前に側にいてもらわないと困ると呟くウルリッヒに、リリーは幸せそうに笑って首に腕を回すと、その髪に頬をすり寄せた。



しあわせな今この時が、ずっと続けばいいのに―――



2001/09/26