
Sweet cake sweet honey
どこまでも続くかと思われる石造りの長い廊下には、赤い絨毯が敷かれている。
所々にある石壁をくりぬいた窓からは、ザールブルグの街が一望できる。
この国のシンボルであるシグザール城の廊下を、勤務を終えたウルリッヒは歩いていた。
すると静まりかえった廊下に、女性の華やかな笑い声が響く。
どうやら前方の女官達の休憩室から聞こえるらしい。扉が半開きになっている。
きっと休憩時間に他愛もないお喋りに花を咲かせいてるのであろう。
そのまま休憩室の前を通り過ぎようとしたウルリッヒは、ふと聞こえた内容に足をとめた。
休憩室の中ではケーキとお茶を前に三人の女官達がテーブルを囲んでいた。
ケーキをひとくち口に運んで、三人が感嘆のため息を漏らす。
「あぁ、やっぱり銀月亭のレアチーズケーキは最高よね」
茶色の髪の女官が幸せそうにフォークを口に運びながら言うと、
「そうそう。白雪堂のフランマンジュも捨てがたいけど、やっぱり銀月亭が一番だわ」
金髪の女官が頬に手を当てながらコクコクと頷く。
すかさず赤毛の女官が
「あそこの苺ムースも」
と言えば、「おいしいのよねー」と三人の声が見事に重なる。
女性はなぜにこういう話をする時、妙に連携率が良いのか。それは永遠の謎である。
その後も引っ切り無しに会話は続いていると言うのに、何時の間にかケーキは消えていき、全員三個目のケーキに手を伸ばそうとした時、コンコンと部屋にノックの音が響き渡る。
意地汚くもフォークを口元に運びながら振り向いた三人は、思わずフォークを取り落とした。
「ウッ、ウルリッヒ様!!!」
突然現れたウルリッヒに、三人の歓声が響き渡る。
ウルリッヒ目当てで来る者が半数以上と言ううわさの、高倍率の女官採用試験をせっかくパスしたと言うのに、実はウルリッヒとの至近距離による対面は初めてのことなのである。
というのも、野放しにしていると仕事にならないとの上層部の賢明な判断により、必要最低限どうしても用事がある場合以外ウルリッヒとの会話は禁止というお達しが出ているのだ。
もちろん下っ端の女官にどうしても話さなければならないような用事があるわけはなく、ウルリッヒからの要請は隊員の聖騎士を通してか、ウルリッヒが直接頼む用件の場合は女官長が出向くので話す機会などあるはずもない。
ウルリッヒと親しく話すようになり、あわよくば・・・などという夢は消え去り、遠くから眺めるにとどまって数年。
その全女官の憧れの的ウルリッヒが部屋の入り口に立っているのだ。これが叫ばずにいられようか。
「休憩中すまない。少しいいだろうか」
興奮状態の女官達のことは意に介さず、ウルリッヒが部屋に足を踏み入れる。
もちろんウルリッヒと話せるのならば、休憩中だろうが、残業だろうが、休日出勤だろうが、全然まったく構わないと、女官長が聞いたらさぞかし喜びそうなことを考えていたが、思うように口が動かないため三人はコクコクとうなずく。
何の用事だろうかと期待に胸を膨らませる女官達を前に、ウルリッヒは顎に手を添えてゆっくりと口を開く。
「今この前を通りかかった時に小耳にはさんだのだが、銀月亭の菓子と言うのはそんなに人気があるのだろうか?」
意外な質問に女官達は顔を見合わせる。ウルリッヒが甘味好きだとはどのデータにも載っていなかったはずだ。
質問の内容に疑問を抱きつつも、とりあえず今はウルリッヒとの会話のチャンスを生かすべきだとすばやく判断した金髪の女官が、ウルリッヒとの初会話の名誉を勝ち取る。
「はい。今女の子達の間では一番評判なんですよ」
「雑誌とかの特集にも絶対載ってますし」
「特にレアチーズケーキと苺ムースが絶品なんです」
残りの二人もこのチャンスを逃すまじと慌てて言を継ぐ。
「レアチーズは濃厚なチーズの味わいと上品な口解けがたまらないし、苺ムースは大きな苺がたくさんのってて、ムースにも苺たっぷりで極上なんです。あとチョコレートケーキもおいしくて・・・」
次々と出てくる賛辞に、ウルリッヒは感心したように頷く。女性と言うのはよほどこういうものが好きらしい。これならば問題ないだろう。
「良かったらその店の場所を教えてもらえないだろうか」
「もちろんです!」
三人は間髪入れず声をそろえて答える。ウルリッヒからの頼みごとを断るわけがあるだろうか。
この話を後で仲間たちにしたら、一躍他の下っ端女官の羨望の的になるに違いない。
ウルリッヒに頼み事をされた喜びと、後々の女官達の羨望の視線から来る優越感に心を震わせながら、赤毛の女官がポケットから紙とペンを取り出すと、早速地図を書き始める。
それに残りの二人の女官も横から口を出しながら手際よく地図を書上げ、それをウルリッヒに渡す。
差し出された地図は、銀月亭以外にも人気のケーキ屋が順位付きで記されており、横にはお勧めのケーキの名前まで書いてある、かなり完成度の高い物であった。ケーキとウルリッヒ、二つに対する愛の証といえよう。
「これはすばらしいな。感謝する」
地図を見て、ウルリッヒが満足そうな微笑を浮かべる。
ウルリッヒの笑みを至近距離で見た三人は、失神寸前である。
ちなみにウルリッヒも地図の方に意識がいっていて、三人にはすでに興味がなかった。
「邪魔してすまなかった。私はこれで失礼する」
とって付けた様にそういうと、足早に部屋を出て行った。
ちなみに三人はといえば、そう言ってウルリッヒが扉の向こうに消えた後も、しばらく呆然としていたが、またもや最初に回復したのは金髪の女官だった。
「キャー、ウルリッヒ様とお話しちゃった!」
「あの笑顔見た?もう最高ー!」
「感謝するだって!もうどうしよー」
胸の前で指を組み合わせて体をくねらせながら、ウルリッヒ様、素敵ー!とまたもや三人そろって絶叫していると、再び扉の開く音がする。
もしやウルリッヒが戻ってきたのかと期待に胸膨らませて扉を振り返った三人は、思わず顔を引きつらせる。
扉の前に仁王立ちしていたのは、この城の影の支配者との噂も高い女官長だったのである。
「あなた達、いつまで油を売っているつもりですか!さっさと仕事にお戻りなさい!」
「はいっ、女官長様!」
目を吊り上げて怒鳴る女官長に、三人は慌てて廊下に飛び出した。笑顔で廊下をそれぞれの持ち場に向かって駆けていく。いつもは女官長に怒鳴られると半べそをかいているのだが、今日ばかりは別であった。
なんといってもウルリッヒの生笑顔というお守りが付いているのだ。きっと城を首になったって、笑顔でいるに違いない。
ちなみにそのお守りのおかげで、その日一日仕事にまったく身が入らなかったのは言うまでもない。
数時間後。ウルリッヒはたいそう機嫌よく職人通りを歩いていた。
手には「銀月亭」と流れるような美しい文字で書かれた箱を持っている。
「リリーは喜ぶだろうか」
期待に胸を膨らませて、ウルリッヒは箱を眺める。
リリーの工房を訪ねるときはいつも手土産を欠かさないウルリッヒなのだが、実は毎回その入手に苦労していたのだ。
周りには男だらけの職場において、当然女性の好むような物を扱う店の情報は少なく、自身も疎いときている。
もちろん毎度同じ物を持っていくわけにはいかないから、今までは軒並み個人的に城の菓子職人に頼んで作ってもらっう事が多かったのだ。しかしそれでは菓子職人にも迷惑だろうし、元々仕事と私事を混同するのをあまり良しとしていないので、ずっと気になっていたのだ。それが今日は思わぬところで情報が仕入れられた。かなりの幸運といえよう。
ウルリッヒは不似合いな可憐な箱を片手に、軽い足取りで歩みを進める。
そうこうしているうちに見慣れた赤い屋根が見えてくる。
ウルリッヒはリリーの喜ぶ顔を想像しながら、工房の扉を叩いた。
ちなみに菓子職人のほうは迷惑などとは思っておらず、密かに国王一家に出す菓子よりもウルリッヒに頼まれた菓子の方により力を入れていたのだが、ウルリッヒはそんなことを知る由もない。
また、ウルリッヒが訪れるようになってから銀月亭にかなりハイペースで新作が増え始めたことや、やたら客が増えたことなども、ウルリッヒには興味のないことだった。
ウルリッヒが興味を示すのは、ただ一人、琥珀色の瞳の錬金術師だけで、それ以外はどうでもいいことなのである。
2001/09/07
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