||| 白い帽子と二人の気持ち |||
エイリークは目の前の大きな樹を見上げて、ため息をついた。
その視線の先で、樹の枝に引っかかった白い帽子が風に揺れている。
あっ、と思った時にはもう遅かった。ふわりと空に舞い上がった帽子は、いたずらな風によって一瞬のうちに高みの枝へと運ばれてしまう。
もう一度風が吹いて落ちてこないものかとしばらく眺めていたが、お気に入りの帽子はまるで「ここまでおいで」と手を振るように風に揺れるだけで、自ら戻って来る気はなさそうだった。
「諦めるしかないようですね」
長い間、樹の下に立ち尽くしていたエイリークが仕方なく部屋に戻ろうとすると、ちょうど部下と別れたゼトが向こうからやってくる。
「エイリーク様、どうかされましたか?」
「ゼト」
力なく微笑むエイリークに、ゼトが問うような視線を向ける。
「実は風に帽子を飛ばされてしまって・・・」
エイリークの視線を追ったゼトは、樹の上ではためく白い帽子を見つける。
「気に入っていたのですが、仕方ありませんね」
肩を落とすエイリークの横で、顎に手をかけて何事か考えていたゼトは、しばらくして彼女にに笑顔を向けた。
「エイリーク様、しばらくお待ちいただけますか」
そう言ってゼトは長衣を脱ぎ捨てる。
「ゼト?」
不思議そうな顔をするエイリークを他所に、ゼトは樹に近づくと、一番下の枝に飛びついた。そして懸垂の要領で枝の上に上がると、そのまま樹を登っていく。
ようやく事態を理解し、エイリークは慌てて樹の下まで駆け寄る。
誰がルネスの騎士団長ともあろうものが、自ら樹に登るなどと思うだろうか。
「ゼト、いいんです。危ないですからやめてください」
うろたえるエイリークを安心させようと、ゼトは「大丈夫です」と手を上げるが、それがかえって逆効果だったらしい。
「危ないですから手を離さないで!」
泣き出しそうな顔でこちらを見上げるエイリークに、ゼトは自分の失態を苦笑する。
せっかくエイリークを喜ばせようとしたというのに、泣かせてしまっては意味がない。
とりあえず早急に帽子を回収して降りた方が良さそうだ。
ゼトは危なげない様子で目当ての枝の所まで登っていくと、冒険好きな帽子を手の中に収めた。エイリークに良く似合いそうな白い帽子には、一見した所汚れや破れはないようだ。
ゼトは大事そうに帽子を抱えると、ゆっくりと樹を降りはじめた。
「ゼト!」
最後の枝から身軽に地面へと飛び降りたゼトに、エイリークが慌てて駆け寄る。
「どうぞ」
笑顔で差し出された帽子を受け取って、それをぎゅっと抱きしめた。
「ありがとうございます、ゼト」
「いえ。こちらこそ久しぶりに木登りが出来て楽しかったですよ」
微笑むゼトに、いつも穏やかなエイリークにしては珍しく眉を吊り上げた。
「でも私の為にこんな危ない事をするのは、もうやめてください。もしそのせいであなたに何かあったら・・・私は一生自分を許せなくなってしまいます」
後半、最初の勢いはどこへいったのかと思わせるようなか細い声で呟いて、エイリークがぎゅっとゼトの胸元を握り締めると、ゼトはその上に自らの手を重ねる。
「申し訳ありません、エイリーク様。・・・ですが、あなたがそう思ってくださるのと同じぐらい、私はどんな些細な事でも、あなたに悲しそうな顔をさせたくはないのですよ」
「ゼト・・・」
揺れる瞳で見上げるエイリークに、ゼトは微笑みかける。
「ですから、笑ってくださいますか。私のために」
「はい・・・」
エイリークは頷いて、花のように微笑んだ。
2004/12/17
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