||| 恋と魔法と白い花 |||


荒い足取りで歩きながら、ロスは内にある苛々をぶつけるように下草を蹴り付ける。完全な八つ当たりだとわかっていても、他に気持ちの持って行き場がない。
自分では制御できない心のもやもやは、ロスをどんどん追い込んでいく。
「ちくしょう!」
ロスは持て余す気持ちを吐き出すように、近くにある木の幹に思いっきり拳を叩き込んだ。途端にそこから突き上げるように痛みと痺れが広がって、ロスはその手を庇いながらその場にしゃがみ込む。
「ってぇ・・・」
反射的に目の端に涙が滲む。
でも肉体に感じる痛みより、心に抱えた痛みのほうがもっと痛かった。
ロスは崩れるようにそのまま腰を下ろすと、膝を抱え込んでそこに額を預けた。
出口のない迷路に迷い込んでしまったように、もう身動きが取れなかった。

「ロースっ」
そのままどれぐらいそうしていただろうか。不意にポンと肩を叩かれる。
振り返ると何時の間にかユアンが背後に立っていた。
「お前か・・・」
「ロスってば隙だらけ。僕が敵だったらやられちゃってるとこだよ」
明るい調子で言うユアンに何も返さず、ロスは再び膝に顔を埋める。
ユアンは困ったように微笑むと、ロスの隣に腰を下ろした。
「相変わらず、うまくいってないみたいだね」
「・・・自分でもわかってるけど、ダメなんだ。あいつの前に出ると・・・自分が自分じゃないみたいで・・・」
彼女の前に出ると、自分の身体だというのにまったく制御が利かないのだ。
話したいのに、いざ前にすると前は何をどうやって話していたのかと不思議に思うほど、言葉が出ない。
目が合うと思わず逸らしてしまう。
そしてその気まずい雰囲気から逃げ出すように、いつもその場を後にしてしまう。
アメリアはきっと自分に嫌われていると思って、悩んでいるだろう。
それがわかっていても、どうする事も出来ない。
アメリアの笑顔が見たいのに、いつも自分のせいで悲しい顔をさせてしまう。
あの日、あの時から、すべてが変わってしまったのだ。
掛け違えたボタンのように、二人の溝は広がっていく。
「何でこんな事になっちまったんだろうな。・・・もういっそこんな気持ちなくなっちまえばいいのに」
俯いたまま履き捨てるように言うロスを、ユアンは穏やかな視線で見つめる。
「恋愛って難しいよね。辛いこととか切ない事とかも多いし、なかなか思ったようにいかないしね。・・・でもさ、本当に前みたいに戻りたいって思う?」
「・・・・・・」
「前のままの兄妹みたいな関係でいいの?自分の気持ちに気付いて、してみたい事とか出来なかった?」
ロスは膝に埋めた顔を僅かに横向かせて、ユアンに問うような視線を向ける。
「んー例えば、手を握ってみたいとか、髪に触ってみたいとか、後は・・・」
指を折りながら例をあげていたユアンは、ここでいったん言葉を切って意味ありげに微笑む。
「キスしてみたい・・・とか」
「キ、キスって・・・」
ロスががばっと顔を上げる。その顔は見事に朱に染まっている。
「さすがのロスでも、それぐらい思うよね?」
にこにこと微笑むユアンをロスは半目で睨む。
「・・・お前、今ものすごぉく俺を馬鹿にしただろう?」
「そんな事ないよ。ロスのそういう純粋な所好きだし」
ロスはまだいまいち納得いかないのかユアンをじと目で見ていたが、「だからね」とユアンが話を元に戻す。
「元に戻るっていうことは、そういう気持ちがすべて無くなるって事だよ。それでもいいっていうなら・・・僕が魔法であの時の記憶を消してあげる」
「そんな事出来るのか?」
「まぁね」
驚いた様子で身を乗り出すロスに、ユアンは曖昧に微笑む。
ロスには魔法の才能がないからよくわからないが、遠くから敵を眠らせたり混乱させたりできるのだから、記憶を消す事も出来るのかもしれない。
「やっぱり元に戻りたい?」
小首を傾げて尋ねるユアンに、ロスはしばらく考えて頭を振る。
別にそういう事がしたいからじゃない。(もちろんしたくないことはないが・・・)
ユアンに言われて初めて、今自分がアメリアに求めているのは、妹としてではなく恋人としての存在だと気付いたからだ。もう元に戻る事など出来そうもない。
「だよね。じゃあ後戻りできないなら進むしかないよ」
微笑むユアンに、ロスは首を傾げる。
「って言われてもなぁ」
それが出来れば、こんなに悩む事もなかっただろう。
困り果てた様子のロスにユアンが助け舟を出す。
「じゃあ、お花とかプレゼントしてみたら?」
「でも俺、あんま金持ってないしなぁ」
思わず財布の中身を確認するロスに、ユアンが笑いを漏らす。
「別にお店で売ってるのじゃなくてもいいんだよ。もちろんお店のでも喜ぶけど。野原とかに綺麗な花が咲いてたりするよね。ああいうのでいいんだよ」
「それって要は雑草だろう?そんなので本当に喜ぶのか?」
「うん。女の子は花が大好きだから、絶対喜んでくれるよ。僕が保証するから」
自身ありげに言うユアンに、ロスは訝しげな表情をしながらも頷く。
どうもこのての事に関してはユアンのほうが詳しいらしいから、自分が下手に悩むよりその言葉に従っておいたほうが有意義だろう。
ロスが早速花を探しに行こうと立ち上がろうとすると。
「じゃ、手出して」
「手?」
言われた意味がわからずロスが首を捻ると、ユアンがその右手を指し示す。
「さっき思いっきりぶつけてたでしょ。そのままにしとくと、いざって時武器が握れなくなっちゃうよ」
言われてようやく手に残る痛みを思い出す。よく見れば僅かに腫れていた。
「ほんと、お前ってよく気が回るって言うか、なんていうか・・・」
ロスが手を差し出しながら、触れ隠しに少しぶっきらぼうに言うと、ユアンは笑ってその手に持っていた癒しの杖をかざす。
「だってロスってほっとけないんだもん」
「うるせぇ」
これではどっちが年上だかわからないじゃないか。

ユアンと別れたロスは、早速花を探す事にする。
だが普段花など気に止めた事がないから、何処に咲いているか見当もつかない。
ユアンに聞けば教えてくれそうな気もするが、やはりアメリアにあげるのだから、きちんと自分で探したいと思う。
「とりあえず行動あるのみだな」
ロスはとりあえず近辺をうろうろと歩いてみる。
すると予想外にも花はすぐに見つかった。
「でも、さすがにこれじゃないよな・・・」
手にしたのは豆粒ほどの花で、花自体はかわいくはあるが、プレゼントとなるとちょっと違う気がする。
ロスは立ち上がると、新たな花を求めて歩き始めた。
こうして注意して歩いてみると、道端には案外たくさんの花が咲いているものだと思う。色もとりどりで、中にはとても野草とは思えない美しいものもある。
だが、そんな中にもなかなかピンとくる花は見つからない。
そうして散々歩き回り、もう日も傾いてきたので今日は諦めようと思った頃、ロスは広い野原にたどり着いた。
長い下草が風に吹かれて波のように揺れる。
そこにその花も揺れていた。
ロスを誘うように、咲き乱れた白い花がゆらゆらと手招く。
目に入った瞬間、これだと思った。
赤子の手の平ほどの白い可憐な花。
ロスはとても大切そうにそれを手折った。

もう日が暮れようとしている。
ロスは慌ててアメリアの居場所を聞いて回り、ようやく彼女を見つけた。
そこに一人佇むアメリアは、夕暮れ時のせいか、いつもひまわりのように輝いている彼女と違って、少し寂しそうに見える。
静かに近寄って、声をかける。
「ア、アメリア」
「ロス・・・」
アメリアはロスが久々に話し掛けてくれたのが嬉しいのか笑みを漏らす。
その笑顔にロスは思わず目を見開いた。
こいつ、こんなに綺麗だったけ・・・。
夕日に彩られた彼女の顔は、記憶にあるものより大人っぽく見える。
「どうしたの?」
思わず見惚れていると、アメリアが不思議そうに首を傾げる。
「あ、いや・・・」
ロスは慌てて視線を逸らした。頬が熱い。
夕暮れ時でよかったと思う。きっと夕焼けが顔の赤いのを隠してくれるだろう。
二人の間に沈黙が落ちた。
ロスは夕日に赤く顔を染めて、視線を逸らせたまま。
アメリアはロスが口を開くのをただ黙って待っている。
花を渡さなければと思うが、何と言って渡せばいいのだろう。
何度も口を開きかけて、すぐに引き結ぶ。
己の不甲斐なさに、思わずぎゅっと唇を噛み締めた。
これでは今までと変わらないじゃないか。
もう前に進むと決めたんだから。
ロスはやけくそ気味に、背後に隠し持っていた花を無言でアメリアに突き出した。
アメリアは一瞬びっくりしたように目を見開いたが、すぐにその顔に笑顔が浮かぶ。
「わぁ、かわいい」
「やるよ」
ロスがそっぽを向いたままぶっきらぼうに言うと、アメリアが目を瞬かせる。
「え、いいの?」
「お前にやろうと思って採ってきたんだ」
「ありがとう、ロス。すごく・・・うれしい」
アメリアは花を受け取ると、顔を近づけて幸せそうに微笑む。
久しぶりに笑顔を見られて、ロスの心に暖かいものが広がる。
「そんなんで良かったら、いつでも採ってきてやるからな」
久しぶりにロスの口からするりと言葉が出てくる。
「うん」
頷いたアメリアの目尻に光るものが浮かぶ。
「何泣いてんだよ」
「えへへ、なんでもない」
ロスが頭をすこし乱暴に撫でると、アメリアは声を立てて笑いながら抗議する。
二人は久々に自然に笑みを交わす。
前とは決定的に変わってしまったものもあるけれど、ようやく元に戻れた気がした。

そんな二人をユアンが遠くから見守る。
「ほんとに馬鹿だね」
記憶を消せるなんて、そんな都合のいい魔法があるわけがない。
「好きな相手を振り向かせる魔法もね」
ユアンは少し寂しげに微笑むと、静かにその場を立ち去った。

2005/01/22