||| 光 |||


ネサラはキルヴァス城の屋上から、自国の姿を眺めていた。
眺めると言っても、延々と連なるのは茶色い岩肌を曝した険しい山々だけ。
穀物を育てるような平地どころか、土すらも殆んどない、不毛な土地。
それがキルヴァスだった。
そんな国で得る事ができる、岩肌に生える僅かな植物を食むだけでは、民は飢えて死ぬしか道はなく、それを避ける為には南の海を行き交う船を襲って略奪行為を繰り返すか、ニンゲン相手に怪しげな取引をするしかない。
まあ、だからと言ってそんな理由で悪事を正当化できるとは思っていないが。
荒涼とした景色を眺めながら、せめて少しでも耕す土地があればと思う。
べグニオンで見た、緑に輝く豊かな田畑。せめてあの十分の一でもキルヴァスにあれば、もっと違う生き方もできるだろうに・・・。
そんな事を思っていると、一人の面影が脳裏を過ぎった。
新緑の瞳。
柔らかな朝の日差しのような髪。
渡る風のようなやさしい声。
星の恵みが具現化したような存在。
心の奥の何かを揺り動かすその姿を思い浮かべて、ネサラは瞼を閉じる。


「ネサラ」


だから最初、それは幻聴なのだと思った。
彼女の事を思っていたから聞こえた、記憶の中の声なのだと。
なぜなら彼女がここに居るはずなどないのだから。
「ネサラ」
しかし、幻にしてははっきりと届くその声に、まさかと目を開いて空を見上げると、視界の中でふわりと風に舞う金色の髪が、太陽の光を受けてキラキラと輝く。
「リアーネ!?」
ネサラが驚いたように腕を差し出すと、リアーネは質量を感じさせない軽やかさでそこに舞い降りてくる。
それを子供を抱えるように抱きとめて、ネサラはリアーネの顔を見上げた。
その美しさは相変わらず幻のようだったが、柔らかな眼差しと伝わるぬくもりを感じて、ようやく腕の中の彼女が感傷が見せる幻ではないのだと実感する。
すると途端にいろいろな疑問が押し寄せてくる。
「おまえ、何でここに。一人で来たのか?」
矢継ぎ早に質問するネサラに、リアーネはゆっくりと頭を振った。
「いいえ、キルヴァスまでは兄さまやティバーンも一緒に。でも早くあなたに会いたくて、一人で先に来てしまいました」
「一人でって、もし何かあったらどうするつもりだ」
ついつい口調が厳しくなってしまうネサラに、リアーネは眼差しを和らげる。
「そんなに心配しなくても大丈夫」
ここはあなたの国なのですから、と言うリアーネに、ネサラを口元を引き結んだ。
確かに自分の目の届く範囲で、リアーネに傷一つ付けるつもりはない。
だが、広い国内すべてに自分の目が届くわけではないのだ。
するとそれを察したかの様に、リアーネはネサラの腕に触れると小首を傾げる。
「それに、もしも何かあっても、ネサラが助けてくれるんでしょう?」
すぐにあの呪われた塔から助け出した時の事を言っているのだと分って、ネサラは微笑むリアーネから視線を逸らした。
あれは違うのだ。リアーネがあの塔に閉じ込められているというのを知ったのも、助け出しに行ったのも、すべてはティバーンの差し金で、別に自分が自主的に行った訳ではない。
そう言おうとして、ネサラは再び口を閉ざす。
あんな風に何の疑いもない真っ直ぐな瞳で見つめられては、そんなこと言えるはずがないではないか。
そこまで考えて、ネサラはいや、と思う。
確かにあの時、タナス公の件を盾にティバーンに言うことを聞かされた形ではあった。だが、決して嫌々そうした訳ではなく、自分自身もリアーネを助けたいと思っていたのだと今更ながらに思って、ネサラは険しい表情を緩めると、再びリアーネの顔を見上げた。
リアーネは先ほどと同じように、昼下がりの日差しのように穏やかな微笑で、ネサラを見ている。
その笑顔を眩しそうに見つめて、ネサラは心の中でため息を漏らした。
いつもそうなのだ。
昔からリアーネという光は、いつもこうして、ネサラの屈折した感情の中でも決して歪む事無く、真っ直ぐに、隠された『本当』を照らし出してしまう。
ネサラはいつもとは違う、素直な微笑を浮かべると、新緑の瞳を真っ直ぐに見つめ返した。
「・・・・・・ああ、そうだな。その時は俺の名を呼べ。すぐに助けに行ってやる」
「はい」
嬉しそうに微笑むリアーネに、堪らない愛しさを感じる。
「さて、中に入るか。おまえが来るとニアルチも喜ぶ」
そう言って、彼女を抱えたまま歩きだそうとするネサラを、リアーネがやんわりと止める。
「ネサラ、私、歩けます」
「俺がこうしたいからしてるんだよ。リュシオンの奴がいる時だと、色々煩いからな」
ネサラが片目を瞑って見せると、リアーネは鈴を転がしたような可愛らしい笑い声を立てる。
荒涼としたキルヴァスの大地に、春風が吹いたような気がした。




2005/05/18