||| 風の声が聞こえる |||



サワサワと草原を風が吹き抜ける。
風に吹かれて草が波打つ様は、まるで海原のようだ。
フィルは吹き抜ける風に乱れる髪を押さえて、周囲を見回した。
カレルが草原の方へ行くのを見たと聞いてやって来たのだが、視界に入るのはポツリポツリと生えている丈の低い木や、草原の中から少しだけ顔を覗かせる岩ばかりで、中々見つからない。
なぜだろう。それでも不思議と焦りや疲れは感じなかった。
海のように波打つ草原とそこを渡る風に、不思議な安らぎを感じる。
ずっと親子3人だけで暮らしていたから、このサカにやって来たのは初めてだが、この体に流れる血がそうさせるのだろうか。
そんな事を思いながら歩みを進めていると、ようやく視界の端にカレルの姿を捉えた。



カレルは岩の上に腰を下ろしていた。
目を閉じ、無駄な力やすべての雑念を廃したようなその姿は、人としての存在感を感じさせず、まるでカレルもまたこの草原の一部の様だ。
なんとなく声をかけるのは憚られて、フィルがその場に立ち尽していると、カレルがゆっくりと目を開く。
「どうした」
「邪魔を・・・してしまいましたか?」
「いや、かまわないよ」
傍にやってきたフィルに、カレルはいつもの穏やかな笑みを浮かべる。
「何をされていたんです」
「声を・・・風の声を聞いていた」
「風の声?」
「サカの民は母なる大地の息吹を感じ、草原を渡る風の声を聞く。妹は・・・おまえの母はあまり興味がなかったようだがね」
確かにフィルは母から一度もそのような事を教わらなかったし、母がカレルのように風の声に耳を傾ける様を見た事もなかった。
「部族の習慣などに縛られない、自由な魂の持ち主だったからね。それはそれで別に悪い事ではない」
カレルは懐かしむように目を細ると、草原へと視線を向けた。
フィルもそれを追う様に緑の海へと視線を向ける。
風が語りかけるように耳元を掠めて通り過ぎていく。
フィルはその声を聞いてみたいと思った。
ここに来て、このサカの草原に来て、懐かしいと感じた。
草原を渡る風に安らぎを覚えた。
きっと知識にはなくても、この血が憶えているのだ。
サカの地を。大地の息吹と風の声を。
それをもっと感じたいと思った。
そして何よりも、カレルと同じ世界を見てみたいと思う。
「私にもできるでしょうか?」
「風は誰にだって語りかけてくれる。後はただそれを聞きたいと思うかどうかだけだよ」



フィルは促されるままにカレルの隣に腰を下ろした。
「まずは目を閉じる。心を静めて大地に、風に、意識を集中する。―――すると見えてこないかい?」
確かに目を閉じているはずなのに、一筋の光が見えた。
それはゆっくりゆっくりと広がって、目の前に草原の景色が広がっていく。
それに合わせて足が、手が、ゆっくりと自然の中に解けていく気がする・・・。
意識が拡散していく―――


どくん・・・。


不意にすぐ傍に熱を感じた。
隣に座るカレルと僅かに触れ合った箇所から伝わる、彼のぬくもり。


すぐ隣にカレルがいる。
そしてじっと自分を見ている・・・。


そう思った途端、フィルの鼓動が早くなる。
するとさっきまで確かに草原に広がり、同化していた意識がどんどんと縮まり、自分の形へと戻っていく。
フィルは慌てて心を静めようとしたが、そう思うほどに余計にカレルの存在を意識してしまい、心はますます乱れていく。
そして。
「フィル」
カレルに名を呼ばれて、フィルは弾かれたように目を開いた。
「そんなに心を乱しては、風の声は聞こえないよ?」
「・・・はい」
「途中までは上手くいっていたというのに、どうしたんだい?」
項垂れるフィルに、カレルは諭すように問い掛ける。
「・・・その・・・隣に叔父上がいて見られていると思ったら・・・急に・・・」
僅かに頬を染め、消え入るように語るフィルに、カレルは目元を緩めるとゆっくりと立ち上がった。
「では私は少し離れているとしよう」
カレルが背を向ける。
離れていってしまう。
そう思った途端、急に胸が苦しくなって、フィルはとっさにカレルの腕を掴んだ。
「フィル?」
「いかないで・・・いかないで下さい」
不思議そうに振り返るカレルに、フィルは子供のように取り縋る。
「私は・・・私は風の声を聞くよりも・・・叔父上の声を聞くほうが・・・傍にいてくれる方がいい・・・」
眉根を寄せ、今にも泣き出しそうな顔をしているフィルを黙って見つめていたカレルは、しばらくの沈黙の後、吐息を漏らして口の端を持ち上げる。
「困ったね」
「・・・すいません」
自ら風の声を聞きたいといいながら、途中で投げ出す自分に呆れられたのかと項垂れるフィルに、カレルは笑みをもらした。
「別に咎めているわけではないよ」
カレルはそう言ってフィルの腕を引くと、その細い体を自分の腕の中に収めた。
「叔父上?」
「ただ、そんな事を言われると、もう離せなくなる・・・」
そう言ってフィルを抱きしめるカレルの腕は、限りなくやさしい。
それはまるで風に抱かれているようで、フィルは自分が青空にふわりと浮いているような気がする。
空に浮かんだ心を、草原を渡る風が吹きぬける。


「あ・・・」


「どうした?」
「風の声が・・・風の声が聞こえた」



草原を渡る風の声はカレルと同じくらい、フィルの心を和ませてくれた。



※2002年に完成間際まで書かれていたものに、加筆修正した物です。
よって烈火の設定は反映されていません。

2005/05/21