||| やさしい手 |||



エイリークは城の外れにある尖塔の階段を上っていた。
石造りの細い螺旋階段は、登れど登れど先は見えず、時々開いた小さな明り取りの窓から見える建物が小さくなっていく事だけが、前へ進んだ事を教えてくれる。
自分を叱咤激励して登り続け、息も切れ切れになった頃、ようやく最上部へとたどり着いた。有事の時に物見として使われるだけのそこには何もなく、壁にいくつか開いた窓様の穴から入り込んだ光が、床に模様を描くだけだった。
記憶と変わらない景色に笑みが漏れる。
前は何かあって一人になりたい時、よくここを訪れていたのだ。
ずっと忘れていたのに、今朝なぜか急にそんな事思い出して、久々に足を運んだ。
エイリークは窓辺に歩み寄ると、遠くを見つめる。
そこには昔と変わらず遥か彼方に連なる山々や、美しい森が広がっている。
窓の縁に身を預けてしばらく景色を眺めていると、不意に目頭が熱くなった。
目の淵から真珠のような涙が一粒零れて、窓の縁に染みを作る。
するともう涙は止まらず、頬を伝って後から後から零れ落ちる。
エイリークは嗚咽を漏らすでもなく、ただ遠くを見つめて、静かに涙を流し続ける。
目の前を飛んでいく小鳥に目を細めると、ぽろりと大粒の涙が落ちた。
その時、背後に足音を聞いて、エイリークは慌てて振り返る。
階段の上り口に姿を表したのはフォルデだった。
彼は涙を流すエイリークを見ても微笑を浮かべただけで、何も言わずに隣の窓に立つと遠くを見つめる。
エイリークも誘われるように視線を戻した。
また涙が頬を伝う。
遠くを見つめながら、エイリークはフォルデが何も言わないでくれて良かったと思う。
気遣う言葉などかけられたら、自分は泣きたいのを我慢していつものように微笑んでしまうだろうから。
そしてこういう時、近くに誰か心許せる人がいてくれる事は、とても心安らぐのだと知る。
それを理解して、黙って傍にいてくれるやさしい人の気配を感じながら、そっと涙を流していたエイリークは、暫くしてぽつりと口を開いた。
「・・・なぜだか急に思ったんです。父上はもういないんだ、って」
景色は何も変わらないのに、ただ大切な人だけがもういない。
目の端からまた一粒、涙が零れる。
隣にいるフォルデがこちらに視線を向けたのを感じて、エイリークは遠くを見つめたまま自嘲気味に微笑む。
「おかしいですよね。もうあれから何年も経っているのに、今更そんな事を思うなんて」
俯くエイリークに、フォルデはゆっくりと頭を振った。
「いえ、そんな事はありませんよ。・・・きっと、エイリーク様はやっと自分の事だけを思う時間が出来たんじゃないでしょうか」
エイリークが視線を向けると、フォルデは微笑を浮かべたまま遠くを見つめていた。
「戦いが終わった後も、エイリーク様もエフラム様も国を立て直す為、国民の笑顔を取り戻す為、今日まで必死で奔走されてきた。・・・それこそ寝食を忘れてね」
吹きぬける風がフォルデの髪を煽る。
「おかげで最近はルネスもようやく昔の活気を取り戻しつつあります。だからエイリーク様もようやく自分の心に向ける時間が・・・ファード様の死を悼むことが出来た」
フォルデの言葉は清水のようにエイリークの心にしみこんでいく。
「お二人は十分すぎるほど力を尽くして来られた。だからもう自分の為に涙を流されてもいいんですよ」
向けられたやさしい笑顔に、我知らず張り詰めていたものが一気に解けた。
「・・・・っ・・・ぅ・・・く・・・・」
嗚咽を漏らしながらポロポロと涙を零すエイリークを、フォルデはそっと抱き寄せる。
エイリークはそんなフォルデに身を預けて、子供のように泣いた。
労わるように背を撫でる手が、それでいいのだと言っている気がする。
とても悲しくて切ないのだけれど、どこか心がふんわりと暖かくて。
エイリークは今日ここに来てくれたのがフォルデでよかったと思った。



2005/01/14