||| 姫と騎士の休日 |||




ゼトにとっては久しぶりの休日となった今日、二人は街へと出かける約束をしていた。約束の時間を前に、エイリークは何日も前から散々悩みぬいて選んだ白のノースリーブのワンピースに、少しヒールの高めなミュールを履いて、鏡の前でくるりと回ってみる。
「これで少しはゼトと釣り合いが取れるでしょうか」
小首をかしげて鏡の中の自分に問い掛ける。
エイリークはずっとゼトとの年の差を気にしていた。
彼が素敵な大人の男性であるのに比べて、まだまだ子供の自分がその隣に立って釣り合うのだろうか・・・。
二人きりの時は忘れているが、こういう人目に曝される機会がくると、どうしても気になってしまう。
だから、少しでもゼトと釣り合う女性になりたい一心で、今日はヒールの高い靴を選んだ。こういった靴はすぐに足が痛くなってしまうので苦手なのだが、きっと1日ぐらいならなんとかなるだろう。
エイリークは最後に顔を隠す為の鍔の広い帽子を被って、時計に目をやる。
「もうこんな時間」
エイリークは慌てて部屋を出ると、城の裏手に止まっている質素な馬車に乗り込んだ。さすがに城から一緒に出て行くのは憚られるので、ゼトとは近くの公園で待ち合わせをしているのだ。
時折カーテンを開けて外の景色を眺めながら、エイリークが弾む心を押さえられないでいると、程なくして待ち合わせの場所にたどり着く。
御者に手を取られて馬車を降りると、そこにはすでにゼトが待っていた。
じっと見つめるゼトの視線に、エイリークは気恥ずかしさを覚える。
「似合いませんか・・・」
「いえ・・・とてもよくお似合いですよ」
思わず見惚れておりましたと呟くゼトに、エイリークは顔を真っ赤に染める。
その素直な反応にゼトがくくっと笑いをもらすと。
「ゼト!!」
「申し訳ありません。あなたがあまりにもかわいらしい反応をされるので。・・・ですが見惚れていたというのは本当ですよ」
そう言って見つめられると、エイリークは何も言えなくなってしまう。
ゼトはエイリークがそうやって見つめられると弱いというのを、彼は知っているのだろうか。
ちらりと見上げると、ゼトは微笑んで腕を差し出した。
エイリークがその腕に恥ずかしげに手を添えると、そのまま二人は歩き出した。


人々で賑わう街の大通りを、二人は普通の恋人同士のように楽しげに歩いていく。こうやって人目を憚らずゼトと過ごせるのが嬉しいのか、エイリークはいつもよりはしゃいでいるように見えた。
その様子を微笑ましげに見ているゼトも、実は自分がいつもよりも浮き足立っていると自覚している。きちんと式を挙げるまでは、なるべく主君と騎士という立場を重んじようと思ってきたが、案外自分もこうしてエイリークと普通の恋人同士のように過ごしたいと思っていたのかもしれない。
しばらく歩いていくと、やがて目の前に中央広場が見えてくる。
王都を放射状に伸びる、すべての道の基点となる場所。
その中央には大きな噴水があり、周りには露店や大道芸人などが出ていて、いつも賑わっている。
「ゼト、あそこで何か催し物をしているようです」
人だかりの出来た辺りを指差すと、エイリークは子供のように駆け出した。
本当は合わない靴で散々歩いたせいで足が悲鳴を上げているのだが、楽しさのほうが勝っていて気にならない。
軽い足取りで駆けていたエイリークは、途中でふわりと足元をすくわれるような感覚を覚える。そしてあっと思う間もなく、エイリークはバランスを崩して、その場に倒れ込んだ。
一瞬何が起こったかわからなかったが、ゼトの前で無様な姿を曝したことに気付いて、慌てて立ち上がろうとすると、右足に何か違和感を覚える。
確かめるように足元に視線をやると、ミュールのヒールが折れてしまっていた。
それを見た瞬間、エイリークをえも言われぬ脱力感が襲う。
それと同時に今まで忘れていた足の痛みや、転んだ時に擦りむいた傷の痛みがどっと押し寄せてくる。
「エイリーク様、お怪我はありませんか」
最早立ち上がる気力もなく座り込んでいると、慌てて駆け寄ったゼトが跪いてエイリークの顔を覗き込む。
「はい。・・・ですが・・・」
ゼトは意気消沈した様子の彼女の視線を追って、エイリークに起こった事態を把握する。
するとゼトは少し笑って彼女を抱き上げると、そのまま歩き出す。
すっかり落ち込んだエイリークはされるがまま、ゼトの胸に頭を預ける。
せっかくゼトと一日過ごせると思っていたのに、このまま城へ戻るのだろうか。
エイリークが泣きたい気分でいると、ゼトはすぐ傍で足を止めた。
顔を上げると、目の前で噴水から吹き出した水が、涼しげな音を立てて流れ落ちている。ゼトは噴水の淵にエイリークを座らせると、水でハンカチを濡らし、転んだ時に擦りむいた箇所を丁寧に清めていく。
その度に傷にちりりと走る痛みと同じ痛みが、エイリークの胸にも走る。
ゼトと釣り合うようになりたいと思っていたのに、釣り合うどころかこれではまるで小さな子供のようではないか。
「他に痛む所はありませんか?」
声を出すと涙が零れてしまいそうだったので、エイリークが黙って頷くと、
「ここで少しお待ちいただけますか」
そう言ってゼトは元来た通りとは別の通りへと消えていく。
ゼトの背中を見送って、エイリークはため息を漏らした。
なぜこんな時に限って転んだ上に踵までが折れてしまうのだろう。
自分の横に置かれたミュールに、恨めしさを覚える。
だがしばらくして、結局は自分が無理をしたせいなのだと思い直す。
分を外れた事をすればその報いを受けるのだろう。
無理をせず、いつものように踵の低いものを履いてくれば、こんな事にはならなかったのだ。きっとゼトにも不愉快な思いをさせたことだろう。
なかなか戻らないゼトに、もしや機嫌を損ねて帰ってしまったのだろうかと心配していると、ようやく何かの箱を抱えたゼトが戻ってくる。
「お待たせいたしました」
ゼトはエイリークの前に跪くと、持っていた箱を開く。
そこには淡い水色のサンダルが入っていた。
「お気に召さないかもしれませんが、城に帰るまでの間我慢してください」
そう言ってエイリークの細い足首に手を添えると、その足にサンダルを履かせていく。
ぼんやりとその様子を眺めていると、視線を足元に落としたままゼトが口を開いた。
「エイリーク様・・・無理をなさる事はありません」
何をとは言わないが、エイリークには痛いほど意味がわかる。
「・・・ゼトは何でもお見通しですね」
思わず苦笑を漏らすと、顔は見えないが、ゼトが笑う気配がする。
「愛しい方の事ならば、例え些細な事でも気になりますので」
「ゼト・・・」
「どうか忘れないで頂きたいのです。私がお慕いしているのは、在りのままのエイリーク様だということを。・・・さぁ、立てますか」
差し出された手に掴まって、エイリークは立ち上がる。
「歩きにくくはありませんか」
促されてニ・三歩歩いてみる。
華奢なデザインでありながら、きちんと踵と甲にストラップの着いたそのサンダルは、とても安定していて履き易かった。ヒールも適度な高さで、さっきまでのつま先がギリギリ締め付けられるような責め苦を考えると、羽根が生えているようだ。
そして何よりも、ゼトが自分のことを考えて選んできてくれた事がよくわかって、思わず涙がにじむ。
「ありがとうございます。ゼト」
エイリークはゼトにぎゅっと抱きつく。
ゼトはそんなエイリークの肩をやさしく抱き寄せていたが、
「エイリーク様・・・」
急に耳元で諌める様に名を呼ぶ。
「あ・・・ごめんなさい、ゼト。こんな所ではしたいですよね」
その声に我に帰ったエイリークが慌てて身体を離そうとすると、ゼトはそのままと言うようにその身体を抱きしめる。
「いえ、それはいいのですが。・・・どうやら私たちはかなりの衆目を集めているようです」
それはそうだろう。こんな人通りの多い場所で美少女と美男子が物語のワンシーンのような光景を展開しているのだから、注目するなと言う方が無理な話だ。
だがそんな自覚などない二人は、別のことを心配していた。
一応顔が見えないように鍔の広めの帽子を被ってはいるが、衆目が集まれば、エイリークの正体がバレかれない。一国の王女がそこにいるとなれば、それなりの騒ぎになるだろう。集団心理とは恐ろしいものだ。さしものゼトといえども群集相手にエイリークを守りきれる自信はない。
「ゼ、ゼト。どうしましょう」
うろたえるエイリークを落ち着かせるように、ゼトは冷静な声で話す。
「エイリーク様、走れますか?無理でしたら私が抱えていきますが」
「ですがゼト、それだとあまり意味がないような気がします」
確かに、少女を横抱きにして走る姿は、行く先々でも注目を集めるだけだろう。
「大丈夫です。この靴なら走れますから」
力強く言うエイリークに、ゼトは笑みをもらした。
「それでは行きますよ」
せいので二人は手を取り合って走り出す。
ふわりと白いスカートが翻る。
いきなり駆け出した二人に、一瞬どよめきが起こった。
そのどよめきを振り切るように、二人は手に手を取って、人の波をすり抜けて走っていく。


そのまま入り組んだ細い道を何本も抜けた所で、二人はようやく足を止めた。
エイリークは胸に手をあてて息を整えながら、傍らに立つゼトを見上げる。
「もう中央広場の方へは行けませんね」
少し残念そうに言うと、ゼトは手を差し出す。
「大通りほどの賑わいはありませんが、この先にもエイリーク様のお気に召しそうな店がありますよ」
差し出された手をキョトンと眺めていたエイリークは、促すように微笑まれて、その手に指を絡める。俯いた帽子の影で、笑顔が弾ける。
柔らかな日差しの差す石畳を、水色のサンダルが軽やかに蹴っていく。


こうして姫と騎士は残りの休日を、思う存分楽しんだ。


<お題5 細い足首に回された手>

2005/02/17